ティルタエンプル寺院、バリ島にはたくさんお寺があり、地域にあり、村にあり、ブサキ寺院のような総本山もありますが、ティルタ寺院にはバリ島全域からバリ人が集まります。先祖のお寺というよりは信仰で集まるお寺かもしれません。
約1000年前、ジャワの王朝の影響下にあったバリの王達は長らく独立を願っていました。バリの神様の信仰、バリの独立政権、バリ人の独立性は、一夜にしてなるものではありません。王朝も国民も長い間、独立のための意識を高めなければなりません。
そんな背景があり、この寺院の信仰や物語がバリ全域に広がっていきました。この物語の中の「水」こそ、ティルタエンプルの聖水で、この水をもとめてバリ島中から定期的に参拝する人間も少なくありません。
現在でもバリ人の間では、ティルタエンプルの聖水に大きな意味があり、毎日のお祈り用の水として、持ち帰る人間が多いのです。古いお寺は他にもあるのですが、この寺院への信仰は、ひとことで「熱い」のです。
日本でも明治維新の際には、日本の近代化のために、中央政府からさまざまな物語が発せられ、福沢諭吉などが西欧文明の紹介の際、取り入れるべきものも多いが、日本流の思想を捨てることではないと・・・ジャワ王朝の軍事力や政治は巨大で見習い追いつくべき、しかし、バリ人の神、バリの思想を捨てることではなく、さらに深く意識的にバリの神に近くあること・・・
そんな発想から、ティルタ寺院は、今までのバリの信仰より、より強い意識的な信仰を目指し、実践を始めたのに違いありません。よりバリ文化や信仰を深めつつ、「富国強兵」を目指し、ジャワからの独立を得ました。このとき本当に現在の「バリ人」の源泉だったのかもしれません。
この時期のグヌンカウイ遺跡も、バリでは空前絶後の巨大なもので、そのときの王様は、なぜ、巨大すぎるほどの遺跡(墓)を造らせたか?また、オリジナリティあふれるデザインだったのか?恐らく王は、ジャワを意識し、バリ島が独自の文化文明をもつ、独立国家であることを内外に示したのかもしれません。このときの、勇気ある、誇り高き、バリ人の末裔であることを、現代のバリ人は意識的に無意識的に、誇りに思っているのかもしれません。またそのような独立期の過酷な時代背景の「信仰」が、深く豊な信仰であったからこそ、ティルタエンプル寺院は例外的に信仰を集める寺院になったのかもしれません。