■現在2022年の8月であるが、すでに2022年は世界中の多くの人々が、世界は大きな混乱の最中にあり、より大きな混乱に向かっていることを決定的に確信してしまった年といえるかもしれない。
2021年7月、新型コロナウイルスのデルタ株によって、インドネシアの被害を目の当たりにし、世界情勢や各国政府や国民の在り方は、20世紀前半のパンデミックや世界恐慌、2つの世界大戦の再来を連想させるのに十分であると感じた。2022年2月24日、ロシアのウクライナ侵攻や核恫喝によって、21世紀の人類の危機が顕在化したといえるかもしれない。
21世紀の人類の危機がスタートした可能性が高い。2022年8月、日本は過去最大の新型コロナウイルス被害が進行中である。7月には大物政治家が暗殺された。戦後最大の閉塞感が社会全体に漂っていることは、多くの国民が感じているはずである。
日本を含む多くの先進国社会に余裕がなくなっている。新興国や途上国ではさらに深刻な社会不安が予測されている。欧米のように日本には「分断」や政治混乱はない、と言及されることが多い。しかし、行き過ぎた個人主義による「分裂」は、欧米より深刻な側面もあるのではないか。
日本の政治経済や社会は深刻な問題が山積している。また政治によって問題解決ができる可能性は低いと国民は数十年感じている。日本社会の閉塞感は、すでに没落段階に入っており、あと2段階の没落によってパニックや全体主義、あるいは圧倒的な機能不全に至る可能性が高いと考える。
日本は没落から滅亡(亡国)の危機に向かっているとも思えるが、個人的に最大の問題と感じるのは共同体の崩壊であり、「個人、家族、中間共同体、国家」とすべてを希薄な存在にしている。家族や仕事場は共同体の基盤であったが、それらさえ崩壊しはじめており、「脆弱な個人と脆弱な国家」のみが政治経済を、その場その場で、くるくると変容させ、脆弱な国家であるので、選挙や政治での問題解決は不可能であると多くが感じている。
また脆弱な個人がバラバラなので「分断」という政治運動には発展しない。しかしながら分裂は欧米並みであり、共同体が崩壊し国家が脆弱な中「脆弱で不安定な個人」が、社会にバラバラに浮遊している深刻な状態である。
共同体の再構築は必要であり国家政府の重要政策であるが、長期の時間が必要であり、短期の共同体再構築は不可能である。よって脆弱な国家をはじめ共同体崩壊の中、当面、個人は厳しい社会を生きるしかない。また、地政学危機が東アジアに波及する際など、国家存亡に関わる安全保障上の問題に、共同体再構築のみでは間に合わない。
よって最期の共同体である「国家」が、個人の生き残りにとっても最重要となる。当面、ほとんどの国民にとって「国」は最期の死守すべき共同体である。よって国民の各層に「柔らかいナショナリズムの浸透」が急務であると感じる。ここでのナショナリズム説明に参照に都合のよいものがある。
「日本はナショナリズムから卒業した」渡辺京二が語る明治150年
渡辺氏の言及するナショナリズムは、戦前の「国民国家創世期の帝国ナショナリズム」と考えられる。国民国家の存在は、よくも悪くも必要悪と語られている。しかしながら国民国家にとって一定のナショナリズムは必要であり、ないなら国家は存続できない。戦後から継続している問題であり、平成に加速した現象に「ナショナリズムほぼゼロ」がある。ナショナリズムがゼロでは国家の存続はできない。時間の問題で機能不全に至る。ちなみにこの渡辺氏のインタビューはパンデミックの2年前である。
今の日本には「柔らかいナショナリズムの浸透」が命題と言える。一定のナショナリズムがなければ国家は存続できない。かつ、このままナショナリズムほぼゼロであては、あと2段階の没落で、脆弱な不安定な個人から急進的ナショナリズムに陥る可能性が高まる。共同体再構築が間に合わなければ、最期のとりでは「国」である。よって一定のナショナリズムは不可欠である。
■2022年(令和4年)令和初期は、1920年代の昭和初期に似ているのかもしれません。1920年に大不況に突入、1923年の関東大震災、1927年(昭和2年)昭和金融恐慌、1929年世界恐慌から昭和恐慌、日本に経済危機が停滞。1930年代には五・一五事件、二・二六事件など軍事クーデター未遂から、日中戦争や太平洋戦争に突入することになります。
1927年の昭和金融恐慌が始まる前である1920年代前半には、日本は経済危機がスタートしており、日本社会はすでに深刻な閉塞感に陥っていたことが当時の新聞などから推測できます。明治には維新や日清戦争、日露戦争の戦争成果や、第一次世界大戦による好景気が継続していましたが、1920年代前半には大不景気がはじまり、所得格差の拡大や深刻な社会問題の停滞によって、1930年代の国内政治危機とクーデターや戦争に繋がります。
1922年芥川龍之介の「トロッコ」が発表されます。すでに日本の輝かしい変革期と好景気は終了し、大不景気に突入していました。主人公は子供の頃に体験した「不安や焦燥感や絶望感、恐怖感」を、大人になり、妻子と東京に出てからも、そのときの感情を繰り返しフラッシュバックして感じていた。明治の村落共同体や家族とはなれ、1人で家族の責任を負っている。共同体からの離脱と大不景気の停滞が背景にある。
時代と環境の大きな変化から、安心する気持ちになれる場所も経済も将来も見えない。芥川龍之介は象徴的に1927年に昭和金融恐慌が発生した直後に自殺しています。時代や共同体の変化を鋭敏に感じた作家ばかりでなく、1920年代、多くの日本人が時代と社会の大きな変化から「閉塞感」を深刻に感じ始めていたに違いありません。昭和初期から100年後である、令和初期の2020年代に、経済危機と閉塞感が再来しているようにも観えます。
100年前のパンデミックであるスペイン風邪は1918年から1920年に発生しています。その後、1920年代に関東大震災、昭和金融恐慌、世界恐慌、昭和恐慌と一連の経済危機が長期化し、日本社会には深刻な閉塞感が停滞します。新型コロナウイルスのパンデミックは100年前より、はるかに大きな社会的影響が発生しています。100年前のパンデミックと世界恐慌との因果関係はまだ完全なものではありませんが、第一次世界大戦の終結の要因になったほど、人流と物流に影響をもたらしたことは明らかです。
2020年代は世界にとっても日本にとても経済危機の停滞がすでに世界銀行によって予測されています。日本もすでに「トロッコ」の時代背景のような「閉塞感」に突入していると思われます。新型コロナのパンデミックは収束もしていませんが、1920年代に関東大震災、昭和金融恐慌、世界恐慌、昭和恐慌と一連の経済危機突入の気配は十分にあります。経済危機が停滞すれば国内政治混乱や戦争に突入する可能性が高まります。
100年前には、維新や戦勝などの華々しい成果や好景気は終了し、1920年代(昭和初期)からは大不景気と経済危機が停滞する時代でした。前時代の成功体験が、さらに「閉塞感」を煽っていました。現在の日本も、戦後の華々しい経済成長からは遠ざかり、成功体験が20年以上の経済停滞に「閉塞感」を深刻なものにしています。
100年前の深刻な「経済危機と閉塞感」から、1930年代の国内政治混乱と戦争に発展したことは明らかです。結果「敗戦」に繋がったと考えられます。1930年代には軍部ばかりでなくメディアや国民自身に、急進的ナショナリズムが発生していました。1920年代の日本社会の深刻な閉塞感の裏返しと言えます。令和に置いても、社会の閉塞感は緩和され、急進的ナショナリズムは回避されるべきです。
現在の「ナショナリズムがほとんどゼロ」であっては、今後の没落の過程でパニックから、急進的ナショナリズムの発生を警戒する必要があります。しかし国民国家は一定のナショナリズムなしでは維持存続できません。1920年代の深刻な閉塞感や、1930年代の急進的ナショナリズムを繰り返してはいけません。令和には深刻な閉塞感を回避し、急進的ナショナリズムを回避しなければなりません。よって、令和には「柔らかいナショナリズム」が国民の各層に浸透する必要があります。
■近代日本において、社会や制度が根底から大きく変化した事が、過去2度あったといえるかもしれません。明治維新前後と太平洋戦争前後です。2度とも日本が外国勢力との地政学的危機に突入し、国家の体制は根本から変化しました。前者は植民地になる前に準備が間に合い、独立が維持できました。後者は敗戦によって一時連合国軍によって占領され、その後、サンフランシスコ平和条約によって日本が主権を回復し、再び独立を認められました。しかし、その主権回復が独立国家としては制限された内容であったため、現在でも「主権回復されていない部分」や「完全に独立国といえない部分」が残されています。国家の根幹に関わる安全保障領域においては半独立国の側面は残されています。
前者の明治維新でさえ、諸外国によって外発的に近代化された側面が大きいと考えられます。夏目漱石は講演で以下のように発言しています。<西洋の開化は行雲流水のごとく自然に働いているが、御維新後、外国と交渉を付けた以後の日本の開化は大分勝手が違います。(中略)つまりは何でもない、ただ西洋人が我々より強いからである。(中略)しかも自然天然に発展して来た風俗を急に変える訳にいかぬから、ただ器械的に西洋の礼式などを覚えるより外に仕方がない。(中略)我々のやっている事は内発的でない、外発的である。これを一言にして云えば現代日本の開化は皮相上滑りの開化であると云う事に帰着するのである>漱石
要するに、暴力の嵐が来たので国がなくなる前に、欧米の軍事力と経済力を取り入れるために、かなり急いで欧米のような国をまねて造った、これを外発的近代化と批判しているようです。植民地になることは、回避できましたが、江戸文明に生きた日本人は、明治維新によって全く違う日本人に変容してしまった。と渡辺氏は感じたようです。
太平洋戦争の敗戦後はどうだったでしょうか?明治維新を外発的と批判するなら、敗戦後の日本は、米国の意志のもとで、限定的な主権でありながら、なんとか国の生き残りを掛けた、といったことかもしれません。外発的な変化どころか、無条件降伏後に米国に主権を制限されながらも、将来に希望をつなぎ、とりあえずの限定的独立を達成できたのかもしれません。サンフランシスコ平和条約から高度成長期には、まつりごとに目隠しをし、経済のみに専科したことは、1つの生き残りに成功した国の形だったのかもしれません。
しかし、現在まで戦後77年間、主にソビエト連邦が崩壊時から、現在まで制限された国家主権がそのまま残っていることは、戦後、まつりごとに、一時的に目隠ししていた日本が、現在でも目隠ししている状態です。60年代、70年代の安保闘争は左翼的な流れと「独立」への意志が混じっていました。よって左翼政権にはなりませんでしたが、「主権回復や独立」も一緒に蒸発してしまったのかもしれません。学生運動の終焉以降、日本は2度目となる「まつりごとに目隠し」をスタートさせた。
戦後、2度に渡る「まつりごとへの目隠し」が、現在まで継続されている。制限されている国家主権の大きな流れかもしれません。恐らく「国民的議論のまつりごと」が成立していたのは1970年頃までであり、それ以降、現在まで国民は、まつりごとや政治を根本的に変えようというシリアスな議論は40年以上から50年は起こっていない状態です。逆に言うなら、80年代以降、まつりごとやシリアスな政治がなくても、経済だけで生きられた幸運な時代だったのかもしれません。
平成に経済成長の鈍化や没落が顕在化しはじめ、令和には経済危機の停滞と地政学的危機が、コロナ禍とウクライナ侵攻で顕在化しはじめたといってよいと思われます。40年以上も、シリアスな政治や、まつりごとの本質的議論を回避してきた国民習慣が、現在も継続されています。平成期に新自由主義やグローバリズムによって、日本の共同体は欧米なみに崩壊し、行き過ぎた個人主義もさらに加速されています。家族や仕事場さえ安定を意味する場所でなくなり、ほとんどの共同体が崩壊に向かっており、最期の共同体である「国」も小さな力しかない状態であり、脆弱でバラバラな個人が脆弱な国を形成している。
渡辺京二氏へのインタビューで1つ違和感がある。西郷隆盛「道義国家」の現代的評価・・・「道義」は没落から崩壊に向かっている。ゆえに西郷が生きて、現代日本を観れば「日本は滅びるであろう」と感じたのではないか?共同体の崩壊から国民に「道義」が失われているからである。明治維新以降の近代日本を、西郷が観れば昭和初期と、令和初期には国民に「道義」が薄れ「日本は滅んでも仕方ない」と感じたのではないだろうか?西郷は国民が天下国家に全員が参加する必要はないが、「道義」をもって生活をすればよい、と考えていた。国にとって最も重要である「道義」がないなら、天下国家(国の政策)以前の問題である。
昭和初期にも経済危機の停滞や共同体の崩壊が起こり「道義」が薄れ、滅びても仕方ない国であったが、なんとか敗戦後には「半独立」は達成できたのかもしれない。現代の令和初期にも、甚だしい「道義」喪失が発生し加速しているのではないか?であるなら、現在の日本は没落の連続から、本当に滅びに向かっているのではないだろうか。「道義」が薄れれば、社会は滅びへ向かうか、パニックにむかうのではないだろうか。
渡辺氏によれば、西郷隆盛が道義国家を現代版で、ひとことで表現するなら「生きがいがある国をつくろう」ではないかと・・・当初、あたりさわりない表現だと感じましたが、そうではないと改めて感じました。ひとことで表せば、国民1人1人が「生きがいがある国をつくろう」と、より意識し、より想えるようになることが、柔らかいナショナリズムの誕生といえるかもしれません。現在の日本人の多くが国はどうでもいい、国の存在が間違い、などナショナリズムがほとんどゼロ状態です。ここから「生きがいがある国をつくろう」と国民の多くが思うことが本当にできれば、それはやはり柔らかいナショナリズムの誕生といえます。その前提には、共同体の崩壊によって、国民である、ほとんどの「個人」の生き残りの砦として「国」という最期の共同体を認識することです。
現代の道義国家とは「生きがいがある国をつくろう」という国民1人1人の気持ちかもしれません。共同体の再構築が可能であれば「道義」は回復していくと思われますが(恐らく可能性が小さく、長期間の時間が必要で、間に合わない)柔らかいナショナリズムの浸透によっても、急ごしらえの「道義」が国民に形成されることは決して不可能事ではありません。
「道義」が再構築されていけば、ソーシャルキャピタル(社会関係資本)、信頼関係、道徳などの修正によって、家族や仕事場や中間共同体が再構築される可能性がある(共同体の復活には時間が掛かるので、これだけでは間に合わない)よって柔らかいナショナリズムの浸透という概念が必要。日本に新型コロナによる緊急事態宣言の際「自殺率」が低下した。戦時体制の自殺率低下同様に、国の緊急事態によって急ごしらえのソーシャルキャピタル(社会関係資本)が発生していた可能性がある。道義やソーシャルキャピタルなどが急ごしらえで共同体意識を強化した現象である可能性がある。急ごしらえの共同体再構築よって「日本国」の崩壊や滅亡を避け、領土が戦場となることを回避して「日本の生き残り」を可能にできるかもしれない。漱石がこれを観れば「日本という国は、外発的近代化を何度も繰り返す」と皮相上滑りの政治・社会であると評するかもしれません。しかし、このまま滅亡するより妥当な選択であると思われます。
最初の明治維新は独立が維持され、2回目の太平洋戦争には半独立国家となった。近代日本3回目の地政学危機によって「独立国の維持」が達成できる保証はありません。令和初期が最も「道義」が薄くなった社会に陥っているとすれば「どのような政府や政策であっても滅びても仕方がない」と西郷は評するかもしれません。令和に柔らかいナショナリズムの誕生がなければ「道義」は消滅し、滅亡してもしかたのない国や社会に陥ってしまうかもしれません。
■【共同体や社会関係資本の崩壊から個人思想としての他者から柔らかいナショナリズムへ】
柔らかいナショナリズム浸透には、社会思想(社会からの動機)ではなく、個人思想(個人の動機)から、ソーシャルキャピタルや共同体は、自分の豊かさのために、今、有力有効な考え方であり、共同体再構築には時間もかかり、以前同様の共同体復活は不可能なので、現在の個人化を全面否定せず、個人化をベースにケアやソーシャルキャピタルを通じて、共同体再構築を試みる。現実的な共同体再構築の参考資料がある。
「近代化により計算可能性としての形式合理性が支配的になるとした。近代社会は個人化進め共同性を抑制する力学を持つ」ウェーバー
「こうした他者(事物をも含む)への関心-関与-応答の連鎖をケア(Sorge=care)概念よって定式化し、人間存在の原点、すなわち「現存在」を位置づけた。われわれは他者をケアすることで、自己の存在確認を得る。自分自身であるためには、ケアする他者が必要である他者が私を必要とする 他者性の再定位だけでなく、私も自分自身であるために、ケアの対象を必要とする」ハイデガー
「ケアの本質は「生きることの意味」を確認することにある。他人をケアすることで、本人は自分の生の意味を、生きている実感を獲得する。」ミルトン・メイヤロフ
「成人期に獲得すべき人生の活力ないし徳力(virtueとしてケアをあげている。これは倫理的な資質を備えた力であり、成人期にこれを獲得しないと、人生の停滞感と無力感に陥る)という」エリク・エリクソン
「社会関係資本は、信頼、互酬性の規範、ネットワークによって、人びとが共同性を構築する機能を担う。共同現存在が社会的に実現するためには、関心-関与-応答によるつながりが平和裏に作動することが不可欠である。それには信頼と互酬性にもとづくネットワーク形成が求められる。これらにより個人レベルでのケアによる相互応答的な支え合いが、「つながり共同体」へと止揚される。社会関係資本を基礎とした市民共同体(civic community)という概念を提出している」ロバート・パットナム
「近代にとっては、理論的には、単体(アトム)としての個人がもっとも適合的である。社会の機能合理化が貫徹していったとき、極論すれば、家族は必要でなくなる。核家族の機能である性愛、出産、社会化、親密性などすべてが外部化されるだろう。これでは国家解体の危機を迎えることになる。そうならないためには、手当てが必要である。」カール・マンハイム
「現代社会の位相を「リキッド・モダニティ(液状化した近代)」と捉える。近代が持つ個人化の力学を以下のように述べる。いまも昔も、流動的で軽量な段階の近代においても、堅固で重厚な段階の近代においても、個人化は宿命であって、選択ではなかった。個人に選択の自由は許されても、個人化を逃れ、個人化ゲームに参加しない自由は許されない。近代の個人化は、個人を共同体の拘束から解放し、自由と自律性を約束する意義を担ったが、その反面で自己決定・自己責任という論理を個人に強いてきた。そして「つながり」や「絆」が希薄化し、他者と共に生きるという社会的なもの(共同性)の本質が失われつつある。」ジークムント・バウマン
「物質的な豊かさの下支えがなされ、人びとの関心が所有ではなく、いかに生きるか、自己実現をはかるかといった存在関心に重心を移行した時代においては、自己の存在確認を求める私的動機が高まる。他者をケアすることで最終的に自己実現をすること、自身の喜びと生きる力を獲得することの重要性が高まる。それは私的ではあるが利己的ではなく、しかも利他的にも見える行為である。と同時に、個人主義ではあるが他者性の指向を前提としたものであり、他者とともに生きることをめざした共同体への道を拓く。」「つまり、ケアとは単なる他人への気配りではなく、自己の心の葛藤を克服する力でもある。ケアは人生の停滞感に陥らないために獲得すべき人間力なのだ。ケアに含まれる他者との関連にもとづいて、自身の存在の意味を問い、人間関係を組み立てることが、他者とともに生きるための基礎条件であり、個人化のもとでの共同性構築の基礎である」「論点は、個人化を前提とした共同性はいかにして可能かという問いにある。もはやかつてのように共同体の眠りについた個人ではなく、自由で自律した個人を前提にした共同性の構築を考えるほかない。」今田高俊氏 ※以上、「個人化のもとで共同体はいかにして可能か」のコンテンツより抜粋
矛盾するようだが「個人化を前提とした共同体再構築の可能性」の難易度として、人間は生産(仕事場)で、ケアや共同体構築が可能であり、消費行動だけでは、ケアや共同体が形成されない可能性を考慮する必要がある「人間は生産を通じてでなければ付合えない。消費は人を孤独に陥れる」福田恆存
個人化の中で、エゴの自我だけでは、死の前に停滞や絶望は回避できない。よって他者に自身と同じ、もしくはそれ以上の意味や価値を感じること、、、自身の死の前にあっても、自身同様もしくはそれ以上重要と感じる他者の存在があれば、死への絶望の意味は薄らぎ、残りの生も、意味が薄れることは少なくなる。すなわち人生の午後には、他者やケアがあった方が幸せを感じる。できれば他者の対象を人間にできれば、自身にとっても社会にとってもよりよいと思われる。つまりケアや社会関係資本や共同体再構築は、個人(自身)にとって重要で有効な思想であると感じる。共同体再構築は時間が掛かる。社会側からの動機のみではなく、個人側(自身)からの動機として、ケアや共同体再構築を求める動き(意識)こそ、柔らかいナショナリズムの浸透の本流かもしれない。
■【マルクス『資本論』は古典として21世紀に再定義される重要テキストのひとつである】
「いわゆるマルクス主義では、国家やネーション(民族)といった上部構造は、経済的下部構造(生産力と生産関係)によって規定されている、という考えが支配的ですが、それだけでは説明できないことが多い」「そのため、マックス・ウェーバーは、近代の産業資本主義を生んだのはプロテスタンティズムであるとし、宗教的な上部構造の自立的な力を強調した。また、フロイトは、経済的下部構造ではなく、心理的な上部構造に、人間を動かす無意識の働きを見ようとした。それ以来、観念的、イデオロギー的な上部構造を重視する考えが強くなったといえます」「同様にマルクスは、貨幣の力が、商品の交換に根ざすことを見た。『資本論』で交換様式という観点を取ったとき、すでにマルクスは、ウェーバーやフロイトが気づいていたにもかかわらず、それを宗教や無意識に求めた問題を、交換、すなわち、広い意味で〈経済的〉な観点から説明できると思っていたわけです」(※その後
「交換が〈霊的・観念的な力〉をもたらすということは、もともとマルクスが『資本論』で考えたことです。そこでは、貨幣・資本の力が、交換から生じる〈物神的な力〉だということを示していました」(国家・リヴァイアサン)商品は、交換されることで初めて商品としての価値を持つ。マルクスはそれを「命がけの飛躍」と呼んだ。(※マルクスとホッブス)
『力と交換様式』柄谷行人 ※『資本論』D社会到来の可能性について
「その意味で、貨幣も国家も、異なる交換様式から生じた観念的な力としてとらえることができます。さらにネーション(民族)についても同様のことがいえます。「重要なのは、これらの〈霊〉たちを一掃する力をもたらすものがある、ということなのです。それが交換様式Dです。そこに資本・ネーション・国家を揚棄する力が生じる。そうでないと、資本=ネーション=国家、すなわちA・B・Cの連合体が永続するでしょう」(※ヘーゲル史観)(※Aをモースとレヴィ=ストロースが探求)
Dによる社会がいつ到来するともしれないまま、世界は危機の中にある。柄谷さんは、Dの一つの表現として、マルクス主義思想家エルンスト・ブロッホの〈希望〉という概念を挙げている。それは、資本と国家を揚棄する可能性を指すもので、「中断され、おしとどめられている未来の道」の回帰だという。「未来の道」はブロッホのいう「未だ-意識されないもの」がもたらすものだ。こうしたDの可能性は、原始キリスト教や初期の仏教、あるいは共産主義の構想などとして、抑圧されても繰り返し歴史のなかでよみがえってきた。今後において、国家(B)と資本(C)が必然的にもたらす危機は繰り返しやってくる。しかし、それゆえにAの回帰としてのDは必ず到来する、というのが柄谷さんの認識だ。「〈希望〉がまだあります。絶望的な未来においてこそ」(※恩寵として到来する世界・・・今は待つしかないというヘーゲル史観)
資本、ネーション、国家が残っている以上、歴史の〈終焉〉はなく、〈反復〉があるだけです。たとえば、90年ごろにアメリカで言われた〈新自由主義〉は、その後、事実上、〈新帝国主義〉に転じた。つまり、90年以後の世界史は、別に新しいものではない。実際、ロシアとウクライナの戦争は、第1次世界大戦や第2次世界大戦の反復でしかない。
※20世紀の深刻で大規模な「経済危機」や「2つの世界大戦」、そして「米ソ冷戦」や「キューバ危機」などの人類の危機が、21世紀に繰り返される。ただの繰り返しに思えない。21世紀には想像を超え、さらに「国家」や「資本」が、拡大された側面が多くみられ、さらにダイナミックに「国家」や「資本」が、世界や社会に強靭化されて、加速して増幅されている可能性が高い。よって21世紀は「20世紀の人類の危機」増幅版である。
※D交換社会が世界に発生・浸透するか否かはわからないが、地域的に点在して行く可能性はあるかもしれない。現在はそれらの点さえも不確かで、発生の根拠があいまいである。イザ本当にD交換地域社会が形成された場合、点から線、線から面へと世界に浸透する可能性もある。しかし、それは強靭化した、さらなるダイナミックな「国家」や「資本」が、21世紀に、深刻で大規模な経済危機や、さらなに大きな人為災害としての世界大戦の繰り返しなどから、大崩壊が繰り返されたあと、それらの危機の反省から、一部の社会や国家が、D交換社会に変容していく可能性はある。キューバ危機の再来によって、全面核戦争が勃発した場合、最期の世界大戦の早期終結と近代の早期終焉に至ってしまうだけであり、タイムマシンのようにA交換社会が大復活してしまう。しかし、キューバ危機再来が全面核戦争前で寸止めされ(たとえば、複数の大都市に10発程度の核攻撃によって、数百万程度の直接の被害者と、その後の大都市や国の機能不全から、数千万単位の被害者が、短期間に発生しながら、幸運にも全面核戦争が避けられた場合など)その後、人類や国家は恐怖の総和から、一時的には国家的反省が発生し「国家」や「資本」の見直しが再考され、D交換地域社会の基盤となる国家意志が発生するかもしれない(AからDではなく、BからDへ変容がはじまる、その後CからDへの変容がはじまる)
※しかし、実際の歴史は、イスラムの影響を受けた、新オリエント時代の到来と同時に、近代の終焉(人類単位の人口減少)もはじまる。21世紀の終盤には、BとCは縮小するが維持され、Aが拡大し、B・C世界の一部にD地域が点在発生するかもしれない。よってヘーゲル史観ではなく、近代の終焉から、一部は帝国主義の復活や中世封建社会へ回帰する。一部はB・Cの縮小維持、B・Cの一部地域にDが発生する。近代の終焉のため、D交換社会は世界に浸透せず、広く観るとABC併存の繰り返しともみえるが、限りなくA交換社会が拡大し、もちろん歴史の終焉ではないが、①反復から②BとC揚棄からDではなく③反復と回帰の歴史となり、帝国主義や封建社会への回帰と、近代B・Cの縮小残存が同時に進行してしまう。D交換社会は到来しないかもしれない。もしくは、21世紀中盤までに、欧米や日本(成熟し絶望した資本主義国から)において恩寵が起こらない場合、21世紀終盤のイスラム諸国の中から、D交換社会が突然発生し世界に浸透していくのかもしれない。
●柄谷氏はブログでD交換社会を以下のように想定する・・・・近代国家と資本主義を超える鍵も、それらが確立される直前、つまり、十八世紀半ばの思想や社会システムに見出せるのではないか、と私は考える。それは、経済史的な観点からいえば、資本によって組織された機械的工場生産に先行する状態、つまり、多様な職人的手仕事の結合からなるマニュファクチャーの形態である。政治的な観点からいえば、絶対主義王権に対抗して、中間集団の多元的な分散と連合からなる市民社会である。これらは前近代ではない。にもかかわらず、中央集権性と目的合理性に特徴づけられる近代システムとは異質なのである。資本・ネーション・国家という近代システムの閉域を出ようとするならば、それらが確立される直前に戻って考える必要がある。
●「世界史の構造」とは詰まるところ、カール・ポランニーが述べた3つの交換様式(互酬・再分配・商品交換)に、柄谷が近代社会の根本要素群と見なす資本=ネーション=国家を組み合わせ、その通時的変遷を追ったときに見えてくるものです。近代を駆動させる資本制経済(C)は経済格差と対立とを必然的に生むことになります。共同性・平等性を志向するネーション(A)はその是正を求め、国家(B)が課税と再分配によってその解決を図るのです。これら3つの要素は歴史的にまったく異なる背景を持ちながらも、ボロメオの環のごとく一体のものとして近代を構成してきました。諫早氏より (資本主義市場経済も国家の下支えがあって初めて十全に機能しうるのであって、交換様式Bと交換様式Cは互いに互いを支えあうかたちで存立している)(※マルクスとカール・ポランニー)
●エミール・デュルケームは、経済的下部構造に還元されないような上部構造がもつ力を「社会」に見いだしたといえます。彼はそれを「社会的事実」あるいは「集合表象」と呼びました。それは、個人の意識・心理を越えたものであり、また、それらの総和以上のものです。たとえば、デュルケームは、神と呼ばれているものは、実は社会であるという。つまり、彼は神のように働く「力」を、ウェーバーのように宗教を持ち出すことなく、説明しようとした(※マルクスとエミール・デュルケーム)
●吉本は幻想領域を概念化することで、マルクス主義が扱ってきた経済領域と観念領域の結びつきを、相互に切り離した状態で考察できるようになると考えた。すなわちマルクス主義における観念領域を表す上部構造を「手垢がついている概念」であるとして、それを「全幻想領域」といいかえる。その構造の解明はどのように可能になるのかという問題意識から、三つの幻想領域が概念化された。また「共同幻想は個体の幻想とは逆立する」といった表現に、マルクスのフェティシズム論(人間が作り出した商品世界に人間自身が従属させられる状況)の影響をみることもできよう。あるいはフランスの社会学者エミール・デュルケームによる集合表象(個人表象と区別され、それ独自のまとまりをもつと考えられる集団の観念)との類似性も指摘できる。以上ニッポニカより(※マルクスと吉本隆明とデュルケーム)
●マルクスから発展させバタイユは資本主義的蕩尽を観る。個人のレベルでの蕩尽も暗示している(神秘主義)・・・・もし、「供犠」ということが、意味の系列を解きひらかれ、再探求されてゆけば、人間はじぶんが何ものであるかを、いわば自己意識の明澄で至高の状態として知ることができるようになるにちがいない。そして本来は供犠の内奥性の世界として解きひらかれるべきものを、外在的に暴力的に転化した軍事秩序や、殺戮の狂宴である戦争は、根絶されてしまうはずだ。(バタイユと吉本隆明)
【カール・マルクス】柔らかいナショナリズムの誕生「危機の時代に蘇る思想」
■※2200年から2800年前には、イスラエルの預言者、ギリシャの哲学者、中国の諸子百家、インドの仏陀など世界各地で人類が個人としての自覚、精神の目覚めを経験した時代であるとヤスパースは言及する。哲学や思想が急速に発展した時代背景には人類の都市化や国家の形成期であり、同時に混乱や戦争の危機の時代であり、人類がはじめて多数の国や都市から、同時多発的に地政学的危機と国家危機から都市生活の個人的苦悩から、大きな危機の時代に突入していたと考えられる。大きな危機の時代に普遍的な思想哲学が発達したと考えられる。近代に突入すると欧米において近代思想が急速に発展した。現代に入り世界恐慌や2つの世界大戦を経験し「危機の経済学」が発達していた。マルクス経済、ケインズ経済、バタイユ経済。21世紀のパンデミック以降、世界経済危機において「危機の経済学」が蘇るタイミングが来たのかもしれません。
■※ケインズは資本主義の延命を提案した。マルクスはポスト資本主義を提案した。バタイユはポスト資本主義を暗示したが、同時に地獄が繰り返され、近代の終焉に至ると暗示した。資本主義の蓄積は避けられず、世界大戦が繰り返され、キューバ危機の再来など人為災害で近代が終焉へ向かうか、奇跡的恩寵によってユートピアに向かうか、明示していない。
■【ケインズとバタイユ】1930年、バタイユもケインズと同様、そして、ほぼ同時に、当時の過剰生産的不況を背景にして、新たな経済学を模索し始めているのである。理論の構築はケインズら「経済学者たちの仕事」に任せたバタイユの著作は、ケインズが深く共鳴したマルサスの仕事へと急接近していくことになったのは必然であった。何より、バタイユの思想はマルサスとともに、マルサスによって提起された不生産的消費概念をその焦点として展開されていくことになったのである。
バタイユは、フランス革命の歴史やロシア革命の現実を念頭に階級社会が革命を必然化することを述べている。しかし、革命自体が政治的な祝祭であって、巨大な不生産的消費でもあるのである。ところで、バタイユには独自の革命観がある。それは、『呪われた部分』第 3 巻『至高性』のための草稿のなかに現れる。バタイユはブルジョア革命と社会主義革命の違いを認めない。フランス革命がそうであるように、ロシア革命もまた封建社会に対する革命であるとするのである。
トマス・マルサスは『経済学原理』のなかで、経済発展には「不生産的消費」の存在が不可欠であることを主張した。直後にジャン・バティスト・セイはフランス語の手紙を送り、マルサスを批判した。この批判を通じて、「不生産的消費」概念は翻訳されてフランスへと導入された。オスカー・ランゲは「不生産的消費」概念を元にしてマルサス理論を最適消費性向の理論と解釈した。ジョルジュ・バタイユはジャン・フランソワ・ムロン以来の奢侈肯定論の伝統のなかで「不生産的消費」を強調し、全般経済学の構想を示した。バタイユの試みは 1930 年代の世界不況を背景にしたものであり、ケインズ経済学と共通の起源を持っている。
■【ポスト新古典派経済学】ケインズ復活が有効と思われるが、資本主義の危機が顕在化して行く場合、ヘーゲルからマルクス経済・バタイユ経済の再定義へ。マルクス「地獄の反復かユートピアか」バタイユ「地獄の反復か近代の終焉か」
ポストヒストリカルな状態が、2020年に始まったグローバル資本主義の革命を通じて今日実現されつつあることを説明している。コジェーヴは結局ヘーゲルがイエナの戦いについて正しかったという結論に達していた。コジェーヴは、1806 年以降に世界に何が起こったのか、そして現在の彼の周りの世界を見て、2 つの世界大戦を含むその後のすべての戦争と、それに伴う革命は、ヨーロッパの時代錯誤(封建社会)を一掃するのに役立っただけであると結論付けました。その政治的過去と他の州を政治的前衛と一致させます。ソビエト ロシアと共産主義中国をもたらした革命が、ファシズムの台頭と敗北を通じて、ドイツ帝国とイタリアの民主化にもつながったとすれば、それは、ロベスピエールとナポレオンによって実現されたことが、ナポレオン後のヨーロッパに浸透したためです。革命前の過去の置き換えを加速する(封建社会から近代化へ)実際、この歴史的運動は、北アメリカにおけるヨーロッパ文明の拡張においてさらに進んだ.。コジェーブは、それが「階級のない社会」である限り、米国は共産主義の最終段階に到達したとさえ主張している。人間の動物性回復。
1930 年代に彼が予測した共産主義への移行ではなく、1962 年に執筆中のコジェーヴは、アーネスト マンデルによって特定された 3 つの段階の最後の段階である戦後の資本主義の拡大で歴史が終わるのを見た。産業革命は、最初に帝国主義の独占資本主義に取って代わられ、最後に消費主義の多国籍資本主義に取って代わられました。それぞれが、今日の世界のグローバル経済に向かう歴史の動きの瞬間であり、その共通の運命の中で、普遍的な歴史は終わります。この観点からすると、歴史が終焉を迎える普遍的な状態は、資本主義の抱擁に閉じ込められた世界であり、資本主義以前の社会的および経済的形態の最後の飛び地を植民地化することに成功しただけでなく、その人口はグローバルな分業における新しい労働階級であるが、人間の主観性のあらゆる側面に浸透し、その普遍的なモデルは今や消費者である。
「バタイユは人間社会の過剰性はどうなるのかと問いかける」
バタイユは、戦後の資本主義がグローバル経済へと質的に拡大した文脈の中で、この過剰によってもたらされる問題を位置付け、生物学的成長の限界が地球圏にあるように、産業の成長にも飽和点があり、それを超えると主張する.リソースの個々のシェアが減少します。しかし、これこそが、生産のエスカレーションにコミットしている資本主義が容認できないものです。資本主義は、余剰の生産的消費と無駄な支出との質的差異を認識していないため、量的差異の認識に限定された卑屈な世界をもたらしました。その結果、生産が飽和点に達しない場合、その余剰のかなりの部分が浪費されなければなりません。富の平等な分配ではなく、しかし、その膨大な蓄積と浪費の中で。この支出の定期的かつ壊滅的な形態は戦争であり、そこでは生物学的および産業的成長の両方の過剰が政治的解決策を見つけます。この証拠として、バタイユは、ナポレオン戦争の終結から第一次世界大戦の開始までの間にヨーロッパが経験した相対的な平和と繁栄の 100 年と、近代産業が発展した時期との対比を挙げている。 2 つの世界大戦とそれに続く冷戦の紛争と武器経済 – その開発が飽和点に達したとき。その後の現在進行中の経済的解決策は、歴史が終わった州の労働者階級の生活水準を不平等に引き上げることであり、それに伴いサービスが出現しました。
ますます均質化する社会への移行(最近にはさらに加速)に伴い、消費のさまざまなモダリティは、資本が行為、それが生産する物、および時間自体の間に確立する定量的尺度の全体の中でサブレートされてきました。その内容ではなく、その形に — お金が灰色の上に灰色を描くその上に。共産主義によって約束された社会的および経済的平等のために、資本主義は歴史的内容を空にした社会的慣行の間の同等性を生み出しました。これは商品の時間であり、精神が資本となり、時間はお金で測定され、価値はコストで測定され、市場だけが決定します。マルクスが言ったように、歴史は茶番劇として繰り返され、人間はヘーゲルが「人生の日曜日」と呼んだものに入る。バタイユは、社会的実践の純粋に形式的な側面における恒久的な革命として生きている人間の未来のこの永遠の現在において、「ぜいたく」は「抑圧され、商品の形で昇華される」と書いている。ブレイクのトラは、ナイキ マックス、ビッグマック、メルセデス ベンツ、ワールド カップの決勝戦など、ギイ ドゥボールがスペクタクルを「イメージになるところまで」定義するように、「蓄積された資本」になりました。
マルクスが「必要の領域」と呼んだものから「自由の領域」への人間の歴史的通過の最終状態を記述しようとしました。彼を彼の主権から切り離すものを取り除き、余剰労働は余剰時間になり、人間の活動は「それ自体が目的である」とマルクスは書いている。 これが共産主義の理想。
ポストヒストリカルな状態が、2020年に始まったグローバル資本主義の革命を通じて今日実現されつつあることを説明している。
■【ポスト新自由主義経済(グローバル市場経済)へ修正か、資本主義的蕩尽の限界ならポスト資本主義へ移行か】バタイユはポスト資本主義を暗示する。以下『ジョルジュ・バタイユの思想』からの抜粋
バタイユは共同体が抱え込んでしまう過剰な富、エネルギー、あるいは暴力を、ソフトランディングさせていく仕組み、消尽(蕩尽=消尽)を見出します。バタイユは『呪われた部分』の中で、現在進行している「東西冷戦」が、アメリカにせよソ連にせよ、同様にして、産業主義的な「資本主義的消尽」へ向かっていることを鋭く洞察しています。バタイユは、使用(消費)が禁止された富を、未来へ投げ込み(投資し)、結果、それがさらなる富の増殖をもたらすにしても、それをさらに未来へ投げ込む、そのような、延々と辿り着くことのない終着駅へむかっての富の(使用の)事実上の破棄、そこに、いわば「資本主義的消尽」のカタチを見たのでした。
バタイユが提起しているとおり、人類史は、基本的に、3パターンしか保持していないとする。
(1)宗教的消尽
(2)軍事的消尽
(3)資本主義的消尽
「消費資本主義的消尽」は、つねに需要(欲望)のフロンティアを開拓していないと動的安定性を維持できないシステムです。結局のところ、その終末にあるのは「軍事的消尽」=世界最終戦争なのではないか、と、バタイユは怖れます。
現在、なぜ‘資本主義が危機!’とか言われたりするのかというと、順番にいきますと、まずは、①財市場における「欲望のフロンティア」がすでに飽和しています。財=モノは行き渡り、モノへの欲望は飽和しています。財には土地も含まれます。が、土地=フロンティアへの投資=収奪の運動は、植民地主義(帝国主義)の終焉と共に終わっています。海底の開拓は進まず、宇宙開発という名の軍事開発が一定度進んだにすぎません。 次に、②労働市場におけるフロンティアの開拓(収奪・搾取:安い賃金労働者を求める運動)は、これもご存じのとおり、爆発的な非正規雇用の増加と格差・貧困、社会的分断を生むに至り、座礁します。もっとも、最近の日本は実質的移民解禁にフロンティア幻想を抱いていたりしますが・・・・・・最後に、③金融市場のフロンティアですが、ここに目をつけたのが、いわゆる新自由主義、徹底した金融規制緩和によるフロンティアの開発でしたが、これもご存じのとおり、リーマンショックに至ります。金融危機を招きました。つまり現代資本主義には、‘もはやフロンティアがない!’かもしれないという危機感があるのです。
資本主義システムは、①財市場、②労働市場、③金融市場の3点セットにより編成されています。資本主義のエンジンは「欲望」であり、常に「欲望のフロンティア」へ「投資」し、「利潤」を回収することによってドライブしていく、ということについては繰り返し説明しました。海底でもなく、宇宙でもなく、いわば電子の世界が新しいフロンティアになる、というか、すでになってきていますね。これをぼくは、電子的消尽、と名付けておきます。あるいは、「電子資本主義的消尽」とでも呼びましょうか。「消費資本主義的消尽」から「電子資本主義的消尽」へ、というのが、資本主義的消尽の延命策、なのでしょう。
資本主義における「資本」を、無限増殖の運動として把握したのはカール・マルクス(1818-1883)です。富を「消尽」することなく蓄積し、投資し、さらに富を増やす運動です。「消尽」が見ている世界は、資本主義の外、あるいは、アフター資本主義と言ってもいいでしょう。資本主義の破綻は、戦争につながる怖れがあるとバタイユは見ています。富をいわば投資することによって先送りに「消尽」(資本主義的消尽)していたのが資本主義システムです。投資先を見失えば、すなわち資本主義的成長が止まれば、「消尽」を戦争によって行うかもしれない、と考えたわけです。
■※バタイユの資本主義的蕩尽から少しずれてしまうが、国や社会には景気循環的な流れが大なり小なり観察できる。水の熱量によるザックリ4形態に分けてみる。
・沸騰社会(革命・戦争・内戦などの暴力と破壊)
・熱い社会(適度なインフレ、成長、好景気)
・冷たい社会(低成長、マイナス成長、高失業率)
・冷凍社会(恐慌、疫病、飢饉、国家崩壊)
2023年はコロナパンデミックから世界的な経済危機が予測されている。世界的に冷たい社会(リーマンショック、石油危機、通貨危機、低成長停滞、マイナス成長停滞、高失業率停滞) に突入することが想定できる。各国は冷たい社会からの脱出を試みる。資本主義の危機である世界恐慌や複雑な世界経済危機により、一部の国が冷凍社会に至ることが想定される。冷凍社会や冷たい社会による停滞や閉塞感から脱出するために国家は熱い社会を目指すことになる。それでも脱出できない場合、沸騰社会(戦争・革命・内戦)に向かってしまうのかもしれない。
20世紀前半の教訓(世界恐慌や革命や2つの世界大戦)から、以下の形態は回避すべきと考える。バタイユの蕩尽イメージは「世界的な沸騰」であるが、経済やエネルギー的に反対の「世界的な冷凍」がパッケージとして同時にまたは時間差で現れる。「世界的な冷凍」がより深ければ、「世界的な沸騰」がより高くなる相関関係やパッケージが予測できそうだ。【2020年からのコロナパンデミックは想像以上に深い谷であったことの指摘が少ない。深刻な「世界的な冷凍」が始まっていたのではないか?】
・世界的な冷凍(世界恐慌、国家崩壊、パンデミック、世界的飢饉、キューバ危機再来後の世界)
・世界的な沸騰(革命多発、内乱、世界大戦)
冷凍や冷たい社会から脱出するために国家は熱い社会を目指す。それでも脱出できない場合、沸騰社会(戦争・革命・内乱)に向かう。鬱病の低迷期は冷凍社会であり何もできないが、鬱の波のボトムからの回復期に自殺が多発する傾向に似ている。冷凍から冷たい社会による長期の経済危機が回避できない場合【経済指数そのものより、それに伴う共同体崩壊によって各個人の精神不安や焦燥意識が増進する影響の方により注目すべき】、国民が集団自殺も恐れず、革命や戦争を肯定する心理へ向かうのではないか(沸騰社会へ突入)よって、冷凍や冷たい社会が世界同時に発生したコロナパンデミックは、2023年以降、経済危機が長期に停滞し回避できない場合、国家や国民は革命や戦争を肯定する方向にむかう可能性がある。経済危機や世界大戦を回避する根本的な発想がバタイユの『呪われた部分』に含まれている。
サッカーのワールドカップも国民意識の統合効果がみられるが戦争は大きな国民統合や共同体意識の高揚効果がある。 よって各個人に停滞し蓄積した精神不安や焦燥意識を安定させる効果も観られる。 政府ではなく国民自体が戦争を引き寄せている可能性がある。 実際の経済危機から飢饉もなく危機が回避されている過程でも全体主義は勃興する。(政府も冷凍社会から国家崩壊するより国家存続を掛けて国民統合を試みる。自ら国家崩壊するよりは戦争を選択するのだ)
※マルクスは宗教はアヘンであるとしたが、【国民や国家にとって革命や戦争こそアヘンである】とシモーヌ・ヴェイユは考えたのではないか。無名にも関わらずヴェイユはトロツキーと直接論争をし、同じ研究グループでジョルジュ・バタイユとも語った。恐らくバタイユは革命をケプラーやコペルニクスのようにエネルギー現象としてとらえ、ヴェイユは間違った革命方向の大惨事をいかに修正できるかなどの具体的政治政策意識から違和感を感じ本人にも手紙で指摘していた。
コロナパンデミックから世界的な経済危機=冷たい社会に向かっている。次に冷凍社会や冷たい社会からの脱出するための経済となる。熱い経済を目指しはじめたら、おおよそ手遅れである。(ミネルバのふくろうは迫り来る黄昏に飛び立つ)第三次世界大戦後や第四次世界大戦やキューバ危機再来によって、その後人類単位の危機による反省から、マルクスやバタイユが蘇り新しい社会や国家が形成されるかもしれない。もしくは近代の残存社会と帝国主義と封建社会の混合となり、一貫した人類の人口減少によって近代は終焉に向かうかもしれない。
また、近代資本主義が多彩な新蕩尽によって維持される場合、近代は終焉せず過剰/蕩尽の繰り返しによって、AIや宇宙開発や科学技術の加速(シンギュラリティに接近)などにより「永続の近代」に至るかもしれない。すでにある近代そのものに積極的な文明価値を感じることができれば、永続の近代でもよいのかもしれない。しかしながら、近代そのものをネガティブに感じてしまうなら永続は避けたいと感じるだろう。永続の近代より有限のイメージである生命種としての根絶や「近代の終焉」のほうがリアルに感じてしまう。「21世紀の人類の危機」は沸騰社会(革命・戦争・内戦などの暴力と破壊)と冷凍社会(恐慌、疫病、飢饉、国家崩壊)の混在が世界中に進行拡大。人為災害のスパイラルによって短期間に近代が終焉してしまうかもしれない。もちろん実際の歴史は予測不可能である。
【ジョルジュ・バタイユ】柔らかいナショナリズムの誕生「危機の時代に蘇る思想」
■※コロナパンデミックから2023年以降の「経済危機」は金融危機や景気後退を引き起こした場合、①ITバブル崩壊や世界金融危機のように10年に一度のリセッションとして現れる程度の現象か②1970年代の石油ショックからの世界不況に近いのか③1929年からの世界恐慌のような現象かは判断はできない。この中で資本主義の危機と言えるのは③であり、1930年代の第2次世界大戦に繋がった。戦後、世界はケインズ経済やマルクス経済が主流となったが1980年代には両経済は米国の新自由主義経済(新古典派経済)が主流となった。古典派経済学では、最終的あるいは長期的には失業は存在しないとされていた。だが現実には、1929年の世界恐慌では、未曽有の大量失業が発生し、さらに長期間続いた。また新古典派経済学も、失業に関して基本的に同じ立場であり、世界恐慌のような現象は起こらず、また抑制可能であるという立場であった。しかし2008年世界金融危機においては、失業者を3000万-4000万人も長期に発生させ柔らかい世界恐慌が発生していた。よって2010年以降においては、新自由主義経済(新古典派経学)は懐疑論が頻発し、マルクス経済やケインズ経済が経済学者に再評価されはじめていた。問題は2023年以降の世界がどの程度の経済危機であるか?である。①②の想定であれば何とか新古典派経済学からのアプローチ修正で対応できるかもしれないが、③やそれ以上の「資本主義の危機」に向かっているかもしれない。であると想定するなら、ケインズ経済、マルクス経済、バタイユ経済の再構築のタイミングであると思われる。21世紀にも世界大戦が繰り返され、長期に革命や混乱や戦争が継続される時代に突入するなら「危機の経済学」再構築のタイミングと思われる。
■※近代思潮はルネサンスのヒューマニズムから、封建主義批判の「理性・進歩・科学・合理・民主・個人の啓蒙思想」へ。近代主義的な理性主義である啓蒙思想の共同体説明はホッブズ、ルソー、ロックの社会契約説へ。社会契約説批判としてエドマンド・バークの保守共同体、または社会契約説批判としてマルクスの共同体そして社会学の共同体へ。日本では福澤諭吉が啓蒙思想(保守主義も含む)を本格導入した。とくに保守主義においては、革命などの急進的な改革に反対し、その社会で伝統的に累積された社会的・政治的・宗教的な秩序などを重視する立場である。その理念的背景には、近代主義的な理性主義(啓蒙主義・理想主義・合理主義など)に対する懐疑があり、人間は不完全な存在であると考え、そのために歴史的な伝統の尊重が必要と考える。
■【近代主義的な理性主義・啓蒙主義を批判した保守思想のエドマンド・バーク】
バーク保守主義はフランス革命により提示された〈社会契約〉ではなく、〈本源的契約〉を重視する。多年にわたり根本的に保持してきたものの中に本源的契約の存在を見、その表れである祖先から相続した古来からの制度を擁護し、それを子孫に相続していくとする政治哲学である。この故に、自然的に発展し成長してきた目に見えぬ〈法〉(コモン・ロー)や道徳、あるいは階級や国家はもちろんの事、可視的な君主制度や貴族制度あるいは教会制度においても、ある世代が自分たちの知力において改変することが容易には許されない時効の憲法 があると看做す。
このようなバーク哲学において、人間の知力などというものは、祖先の叡智が巨大な山のように堆積している古来からの〈制度〉には及ばない、矮小で欠陥だらけのものとの考えがある。それゆえ「理性主義」、すなわちデカルト的な人間の理性への過信を根源的に危険視し、慎慮を提起する。言い換えれば、個々の人間を多くの間違いを冒す不完全な存在とみなす、謙抑な人間観に基づいている。文明社会が人間の知力で設計されたものでない以上、仮に、文明の政治経済社会に人間の知力や理性に基づく「設計」や「計画」が参入すれば、その破壊は不可避となり、個人の自由は圧搾され剥奪されるとする。
バークにとって自由は英国の長きにわたる歴史の中で醸成されたものであり、国王大権と議会特権とのあらゆる嵐と抗争に耐えて維持されてきたのであった。自由は祖先から相続した財産であるがゆえに国家に対して不可侵権をもつのであり、けっして人権や自然権であるからではなく、自由を世襲の権利として正しく永続させ、聖なるものとして保持すべき筋道・方法として歴史上の経験から、世襲王制以外はないと考えた。
バークによれば、偏見は諸国民や諸時代の共同体の銀行・資本であり、そこには潜在的な智恵がみなぎっている。その偏見はより永く続いたものであり、広く普及したものであるほど好ましい。各人が私的に蓄えた僅少な理性よりは、共通の偏見に従ったほうがよい。言い換えれば、偏見の衣を投げ捨てて「裸の理性」の他は何も残らなくするよりは、理性が折り込んである偏見を継続させる方が遥かに賢明であるという。偏見は火急に際しても即座に適用できる。あらかじめ精神を確固たる智恵と美徳の道筋に従わせ、決定の瞬間に人を懐疑や謎で不決断にしたり躊躇(ちゅうちょ)させない。偏見とは人の美徳をしてその習慣たらしめるもの、脈絡のない行為の連続には終わらせないものである。このように、バークの考える偏見は、迷信とは異なり、智恵と美徳をもたらし社会の熱狂を防ぐものである。
バークは、人間の文明社会は、〈幾世代にわたる無意識の人間の行為〉で形成されたものであっても、人間の知力で〈設計〉されてはいないと考え、その人間の行為と〈神の摂理〉との共同体の作業において開花し発展・成長した偉大なものが文明の社会だと把握していた。(Wikipediaより)
■※【柳田国男とドストエフスキー】日本での保守源泉となりうるのは、夏目漱石、徳富蘇峰、柳田国男、小林秀雄などであると思われる。戦後において保守は片隅においやられた。 ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』の大審問官問題は、柳田国男の『山の人生』最初の2つの話である「炭焼きの子殺し」「一家心中に失敗した女」の実話に問題が重なる部分がある。3つのストーリーは理性によって完結に説明できる内容でも理解できるものではない。理性と信仰を同時に抱えることによって生きることは矛盾ではないことが暗示されている(ただし深刻な苦しみを受けながら)イエスは大審問官に沈黙したままキスをした。大審問官も仕事を継続しイエスも釈放された。理性と信仰が同時存立する世界が可能となった瞬間である。山の人生2話の2人はそれぞれ、この世で最も深刻な取り返しつかない衝動的殺人によって、自ら愛する家族を殺めた。2人とも恩赦で中高年に釈放されるが、どちらも大切に愛した家族を自らの衝動で殺したことは自分自身の後悔と大きな苦痛を死ぬまで伴い感じなければならない。その上に日常生活の困難も重なる。生きて行くなら残りの人生を自らを攻め困難や苦しみを受けれて「信仰や無常」によって生きるしかないことを想像させる。大審問官も理性による困難や苦しみを受け生きるしかないことを受けれたのだ。この3話の3者はそれでも生きてゆかねばならず近代や前近代に一貫して「なければ生きて行けない信仰」をもって苦しみを受けれながら生きるしかない。小林秀雄も『遠野物語』の説明で理性と信仰は全く矛盾することなく並立可能である趣旨の発言をしている。山の神との深刻で厳しい普段からの信仰が炭焼きの子供達の姿勢に現れている。古代からの日本の信仰がそこに暗示されている。古代からの共同体の当たり前の在り方が暗示されている。これらの言説が日本とロシアなど近代保守の源泉であろう。
■【夏目漱石とドストエフスキー】日本とロシアの初期近代からすでに「近代そのものへの批判」がはじまっていた。漱石やドストエフスキーは個人主義など西欧近代そのものに、グロテスクなネガティブ性が含まれていることを確信していた。近代は個人も社会も「過度な自己増殖から突然の自己破壊」に至る癌細胞の無限増殖の特徴を共有している。
『こころ』『白痴』などの作品に色濃く表現されている。(以下チャラコヴァ・マリア 氏を参照)『こころ』Kの自殺の原因は先生のいうように、失恋や現実と理想との衝突ではなく、耐えきれない孤独であった。先生も明治の終焉を迎え、「自由と独立と己れとに充ち」たその精神に殉死するが、やはりすべての引き金となったのは先生の学生時代に表面化した欲望と利己心である。「自分で自分を破滅しつつ進み」、それぞれ悲劇的な最後を迎えることになったのである。『白痴』この時代を「奇態な、落ち着きのない時代」とし、その社会は「なんらの精神的根拠も持たないで、ただ個人の利己心と物質的必要ばかり満足させようとする」、「自己保存の原則と自己破滅の原則は、人類に在って同じように強い力を持っております!」と主張した。
『断片』においても漱石の英国文明への批判が長々と書かれているのである。明治三十八・九年Self-conscious の age は individualism を生ず。社会主義を生ず、levelling tendency を生ず。Selfconsciousness の結果は神経衰弱を生ず。神経衰弱は二十世紀の共有病なり。人智、学問、百般の物事の進歩すると同時にこの進歩を来したる人間は一歩一歩と頽廃し、衰弱す。[中略] 父子の関係を疎にし、師弟の情誼を薄くし、夫婦の間を割き、朋友の好みを減する傾向なり。昔人の如き関係にては到底今日の程度の神経にて堪へ得べからざるが故なり。[中略] 他日もし神経衰弱のために滅亡する国あらば英国は正に第一にをるべし。[中略] 愚なる日本人はこの病的なる英人を学んで自ら病的なるを知らず。好んで自殺を遂ぐるにひとし。
ドストエフスキーがロンドンで見出したのは、西欧文明の最先端を象徴する広大な景色ではなく、「半裸の、飢えた、無気味な住民の擁している、たとえばホワイトチャペルのような、都会の恐ろしい片隅」や「麻痺状態におちい」っている労働者の姿であり、「陰気くさい傲慢な精神」、「大衆の貧困、困苦、不平、衆愚化に決して心をわずらわされるようなことは」ない、バアルの神の支配である。彼はロンドンの「無言のままひしめき合っている」人々の姿に、「目の前で成就されつつある黙示録」的な、「バビロンを思わせる」ようなものさえ感じ取っており、「友情の世界を創り出すことはできない」、「己れ自身の自我による自己決定の精神」である西欧の個人主義を鋭く批判している。
漱石の西欧文明観について、高橋誠一郎は、「ロンドンに西欧文明の繁栄を見た福沢諭吉よりも、むしろ西欧文明の影の悲惨さを見て、貧民窮での買春婦や「事実に圧しひしがれ」「麻痺状態」におちいっている労働者たちの姿を描き出したロシア人作家ドストエフスキーの観察に近いのである」と述べている。ドストエフスキーと漱石はともに、自らが身をもって体験した近代西欧文明に対する批判意識を持っていたが、それは近代西欧文明の影響をやむを得ず受けながら近代化を進めているそれぞれの自国を考えてのことでもあった。
■【ドストエフスキーは保守思想の源泉として再定義される重要古典のひとつとなる】
ロシア帝国の没落から滅亡や亡国危機からドストエフスキーは近代主義批判、西欧近代批判、理想主義批判、ユートピア批判をおこなった。亡国危機を肌で感じロシアスラブのナショナリズムの源泉として、作品を通じて抵抗運動を展開した。21世紀に保守思想家ドストエフスキーが蘇る。ドストエフスキーは芸術作品として読まれるのではなく、『資本論』のように政治経済テキストとして読まれるよう希望したと思われます。シェイクスピアのように読まれるのではなく、マルクスのように政治経済に影響を与える作品を目指して書きました。啓蒙主義思想や合理主義思想ではなく、理性主義の急進的革命や個人主義を否定し、人生の過酷さを受入れ伝統的な共同体や信仰から現実的に可能な社会を暗示しました。
ドストエフスキーにとって、理性だけでは人間の存在を完全に説明することはできませんでした。ドストエフスキーは懐疑的な西洋人としてキャリアをスタートさせました。しかし、彼は最終的に献身的なスラブ愛好家になりました。善と悪の間の人類の進行中の闘争である『罪と罰』では、理性だけを信じることが人間同士の感情的なつながりをすべて破壊する世界を目の当たりにしています。『悪魔』で、シャトフは率直に「理性は決して善悪を定義する力を持っていない」と宣言し、『カラマーゾフの兄弟』では、信仰は簡易な言葉で提示されています。「大審問官」問題は理性主義の限界と信仰であると思われる。
ドストエフスキーの作品の中心部分、つまり「現実そのものが疑わしい概念」である。これは、ドストエフスキーの登場人物が常に終末論的枠組みの中で活動する理由を説明しているように思われます。彼は、意志の力があれば、誰でもそれを達成できると感じました。エゴ停滞が解除されると、自己陶酔的な虚栄心の鎖から解放されます。そして最終的には、個人は利己的な衝動や欲求を超えて行動できるようになります。そうして初めて、ドストエフスキーは、本当の自由が可能になると信じていました。ここで重要な 2 つのキーワードは、受容と信頼です。私たちが導く個人的および集団的生活を完全にコントロールすることは決してできないことを受け入れる。 そして、私たちは人間の理解の領域を超えて常に存在する世界に住んでいるという考えを信じています。
『地下室の手記』において、ドストエフスキーは人間の非合理性をありのまま直視し、それを受容する必要性を打ち出した。ドストエフスキーの人間観によると、自己利益を合理的に追求することは、人間が行動すべき究極の手段ではない。幸福と合理的自己利益の間の、目的と手段の問題は、もはや道徳の究極の指針とは言えない人間の全歴史とは、非合理性の記録である。人間は、アリ塚のアリのように、建設することを好むかもしれないが、しかし、そのまた他方で、破壊を愛するものである。人間は、理性の専横、つまり、「二の二倍は四である」という型から自己を開放するためにのみ、気まぐれにふけり、自らの利益に反して、故意に罪を犯すことを愛する。
『地下室の手記』は、『何をなすべきか』に対して、反ユートピアでもなく、チェルヌイシェフスキーの論理を批判することでもなく、合理主義的な概念とは根本的に異なる人間の本質を提示することによって、応答している。『地下室の手記』の分析を通じて得た、「人間の非合理性に対して虚飾を取り払い、あるがままに受容すること」の重要性であると考えられる。(以上、河村しのぶ氏参照)
ドストエフスキーは、革命闘争の暴力的な方法に反対し、キリスト教を説き、無神論に反対したため、ソビエト連邦公式のマルクス主義文学批評の枠組みには適合しませんでした。F. M. ドストエフスキーの名前は、1938 年から 1940 年に作成された 2 番目の学校の教科書の研究対象著者のリストから削除された。作家の作品は長い間学校から除外され、大学の文学プログラムからも除外されていた、ソビエト連邦崩壊後にドストエフスキーの再評価がはじまります。
徳富蘇峰も再評価されるべき時代に突入していますが、削除されたままである理由は日本が戦後から一貫して敗戦国意識が維持されてることからである。ソビエト連邦崩壊後シェイクスピアと同様の価値があると思われ、ドストエフスキー復活は自然な流れと思われるが、徳富蘇峰は「歴史」だけでも明らかな価値があるにも関わらず、削除されたままであるのは日本の言論空間はソビエト連邦のイデオロギー的に制限された言論空間と共通している部分があるからかもしれません。国家主権が未回復であり敗戦国の言論空間としてイデオロギー的に制限されている側面が残っているからです。敗戦直後の占領下では米国によって制限されていましたが、サンフランシスコ平和条件の主権回復後は、政府と国民自ら日本の言論空間に制限をかけはじめました。
敗戦直後のブラインドではなく主権回復後にも戦争回避戦略から、故意に一時的にブラインドする。その後、現在まで国家主権の永続的ブラインドに繋がります。一時的な国家戦略は永続的国家戦略となり、政府も国民も日本は誰も責任をとることなく、国家主権の回避を継続しています。(未来の復活を忘れ去られた国家主権)世界的な地政学危機がスタートしたにも関わらず国民は依然として本質的議論を回避しています。吉田内閣からの国家主権の回避は一時的な臨時の戦争回避戦略だったにも関わらず、国家主権回避の永続は国として時限爆弾のような完全な失策であるが、誰も責任をとることなく忘れ去られ、現在、戦争回避の国益が追求できず議論さえできず、戦争回避が国益として戦略的にできない立場に追い込まれている原因となっている。2022年時限爆弾のタイマーが回り始めた感がある。
The Underground Man – Fyodor Dostoevsky’s Warning to The World(日本語閲覧可)
【フョードル・ドストエフスキー】柔らかいナショナリズムの誕生「危機の時代に蘇る思想」
■※【戦後メディアに徳富蘇峰が削除されていることは「敗戦国の知識と教養」が戦後としてバイアス維持されたままの証拠である】
近世日本思潮において、良くも悪くも二度の大きな断絶があったと思われる。明治維新前後と太平洋戦争の敗戦前後である。二度とも地政学的国家危機であった。前者は日本自身によって成され、後者は外国勢力の占領によって敗戦国として断絶であった。最大の問題は現在も敗戦国の姿勢が継続されていることである。国家は敗戦国として一定期間の主権剝奪を受けるが植民地になったわけではない。サンフランシスコ条約から国家主権が認められたにも関わらず、多くの側面で国家主権を自ら回避する政治を維持している。
明治・大正において福澤諭吉や夏目漱石は、日本人に大きな影響を与えたことは間違いない。徳富蘇峰は明治・大正において諭吉や漱石、鴎外以上に大きな影響を与えていた。本や新聞の発行部数だけをみても圧倒的に著名であった。福澤諭吉も徳富蘇峰も国家をテーマに多くを語ったが、戦後、福澤諭吉の思想は継承され徳富蘇峰の思想は断絶させられた。米国だけでなく日本人自身によって排除され現在に至る。2020年代にあって不自然なバイアスが、すべての分野に掛かっている象徴と思える。
明治・大正期ほとんどの知識人が徳富蘇峰の思想や文章に影響を受けていた、といっても過言ではない。福澤諭吉や夏目漱石、高杉晋作、伊藤博文らが戦後も歴史評価されているにも関わらず、戦後メディアに徳富蘇峰が削除されていることは、日本の知識・教養にバイアスがある証拠であり、戦前の優秀な政治家、官僚、学者の多くが削除されている。明らかに戦後は終わっていない「敗戦国の知識と教養」が維持されたままである。
戦後の批評家として著名な小林秀雄や吉本隆明をはじめ、戦中戦前世代であれば、すべての知識人が徳富蘇峰の影響を受けていると言ってよい。小林秀雄は「徳富蘇峰なんか皆悪口を言うが、僕はあの人の歴史を認めている。悪口を言うが、実際に読んでやしないのだよ。あれを読むのだってずい分骨は折れるからね。史観が出鱈目というけれども、あの人の歴史は観方が一番借りもののところがない。」と言及している。戦前戦中と天皇制を迷わず肯定していた吉本隆明への影響も当然であって、知らないうちにすでに影響を受けている時代の空気や常識のような思潮でもあった。明治・大正・昭和において『近世日本国民史』には直接的・間接的に日本のすべての歴史家が影響を受けている。近世日本の江戸・明治の学術研究に徳富蘇峰のテキストは客観的に必要である。地政学的危機以前に、日本史研究において『近世日本国民史』は重要である。
古典でさえ両刃の剣の思想側面がある。蘇峰の戦犯としての位置は変わらず本人も認めている。しかしながら戦争責任者の立場のみから、徳富蘇峰を削除できるほど一側面的な思想ではない。明治から大正には諭吉や漱石以上に本質的にも量的にも日本思潮の重要な源泉のひとつである。令和の日本に地政学的危機が迫るなか、ナショナリズム研究に徳富蘇峰が蘇るタイミングである。蘇峰は当時の理想主義思想からナショナリズム思想へと突然変容した。列強の軍事力によって亡国に至ってしまう地政学的危機を肌で感じたからである。この「変節」から10年間、蘇峰は日露戦争の準備を進める。
以下徳富蘇峰記念館より、思想的には起伏が激しく、維新前には尊王攘夷、1876年(明治9年)に洗礼を受け、ついで自由民権を主張。日清戦争後、遼東半島を清国へ返還するように求める三国干渉を日本が受けると、独自のナショナリズム意識を強く持ちました。しかし、世界の中での日本のあるべき姿を追求する思いは一貫しており、その生涯は、矛盾に満ちた歴史の実相を全身で生き抜いた証に他なりません。
■※亡国や植民地化を回避(戦争自体の回避にも有効)するための戦争準備には柔らかいナショナリズムが有効であり、戦争勃発後や特に国内レジスタンスにはハードなナショナリズムによって対応せざるえないこともある。避けるべきは追い詰められた急進的なナショナリズムや帝国主義的なナショナリズ厶による領土拡張政策である。独裁者は回避すべきだが、亡国危機には強いリーダーシップは必要である。よって国家の地政学的危機には柔らかいナショナリズムからハードなナショナリズムまで必要なタイミングが発生する。国家維持には一定のナショナリズムが明らかに必要である。
■※国家にとって一定のナショナリズムがなぜ必要なのか?一定のナショナリズムがない状態で地政学的危機に陥った場合、国が植民地化し滅亡する可能性が高まってしまうからです(戦争に巻き込まれる可能性も高まる)よって大きな地政学的危機直前から戦争中には、戦争回避や戦争被害の最小化のために「戦争の準備」が必要となります。適切な戦争準備のためには一定のナショナリズムが必要です。現在からの戦争準備は正しいか?民主主義では議論しかない(議論できるうちは)突然の議論できない状況も十分に起こり得ると歴史は証明している。
また、どうしても戦争回避ができず戦争に巻き込まれた場合、海外勢力の傀儡政権が誕生した場合、もしくは国内に外国軍が侵攻してきた場合、議論はできない状態となります。議論以前に侵攻軍を追い出すしかありません。自国の軍隊が敗北しても、国内レジスタで戦い侵攻軍を撤退させるしかありません。非暴力運動によって国家が維持できる可能性は奇跡的な幸運であり戦略にはなりません。リアリズムでは非現実的です。奇跡的にカリスマが出現し有効戦略がはじまる、、、そんなことに期待するのは戦略や政策ではない。また、平和主義が世界に浸透しはじめ、戦争準備をしない政策が国家戦略として有効になるような時代が突然到来すれば戦争準備をしない政策もある。しかし時代はその反対方向に確実にかつ急速に動いている。
よって、好むと好まざるに関わらず、南海トラフ地震や大津波以上に大規模な災害として「戦争の準備」が必要と思われる。戦争が起こるか起こらないかは予測不可能。しかし少なくとも地政学危機が増大する傾向が長期にあれば、国や政府はどちらにしても「戦争の準備」を効果的にはじめるしかない。国は戦争回避を試み、それでも巻き込まれた場合には被害を最小に留める政策と準備が必要です。
共同体の再構築が可能であれば「一定のナショナリズム」は回復していくと思われますが(恐らく可能性が小さく、長期間の時間が必要で、間に合わない)日本の亡国危機共有から柔らかいナショナリズムの浸透によって、急ごしらえの「一定のナショナリズム」が国民に形成されることは決して不可能事ではありません。
■※【「戦争や革命や国家崩壊」などの人為災害は共同体崩壊による相対主義(信仰・信念の喪失)に陥った個人意識が大きな要因である】戦争は個人の集合体である大衆から発動する。
現代において多数者が「意味のある死がもはや失われている、死の意味が感じられない」とすれば、共同体崩壊のプロセスから信仰や信念が薄れ、意味のある死がもはや失われている可能性がある。平時にあって死を感じることができるのは祭りや葬儀であり、これができるのは共同体が健全である必要があるだけである。平時に平和が継続し同時に共同体崩壊がはじまると信仰や信念は薄れ、相対主義が蔓延し「死の意味が感じられない=生の意味も感じられない」よって個人不安が増大し、社会は閉塞感が蔓延していく、これらによって社会制度が崩壊に向かうメカニズムの一旦をアノミーと想定したのかもしれない。したがって不安や焦燥に襲われた個人意識は「死の意味=生の意味」を感じ直すために、潜在的に自らリアルな死を望み「戦争や革命や国家崩壊」に向かうのではないか?すなわち国家や社会にとって平時の長期化において共同体崩壊がはじまると、個人の多数が心理的要因から社会閉塞感や社会不安増大によって、個人心理そのものが戦時を引き寄せているメカニズムがあるのではないか。短期であれ長期間であれ、共同体崩壊によって信仰や信念も崩壊し、個人心理や意識の不安定化が戦時「戦争や革命や国家崩壊」への要因要素ではないか。すなわち戦争は国家や軍部やメディアのみの責任ではなく、国民1人1人である個人意識から発生している可能性がある。まさに「戦争や革命や国家崩壊」への稚拙な論理こそアヘンである可能性が高い。(日本のポップシンガーも「甘い理想に落ちる」うまく表現している……..「膨らんだ 妄想 幻想 真相を いやあれを探してる。あれ なに わからないよ。それ なに 甘い理想に落ちる。みんな心の中までイカレちまっている。そんな世界にみんなで寄り添いあっている。みんな心の中から弱って朽ちていく。そんな世界だから皆慰めあっている。あれ なに わからないよ、それ なに、 辛い日々に沈む」Vaundyより)世界で相対主義(信仰や信念の崩壊)は加速増進中である。
近代に必要な信念とは納得でき受入れられる共通の死の意味である。納得できる共有可能な死の意味は信仰以外では想像しにくい。信仰に準ずることが可能な信念とはいかなるものであろうか?平時であっても戦時であっても信仰や共同体ぬきでは不可能と思える。共同体なら葬儀や祭りなどの儀式や体験が必要となる。そのような体験は切実でときに深刻な重要と感じる他者を含む共同体である必要がある。自身と同様に大切と思われる他者の多くの死の体験や喪失から生の意味と重要性を直感し残された共同体を自分と同様に、またはそれ以上に重要と感じ行動できるような共同体が必要。信仰の共同体か前近代的運命共同体をイメージしてしまうが、現在の先進国において、信仰もそれら信念の基盤となる共同体もより困難に思われる。よって個人単位での方向と社会が目指す共同体再構築を想定する。しかし、先進国は個人も社会も問題の増進が継続され、個人不安の増大から社会や国家が内戦や革命や戦争によって蕩尽されることによって、戦争や革命を通して(死の実体験=生の回復)信仰や信念意識を取り戻し、死の共通意識が浸透されるのかもしれない。共同体や個人の不安意識が戦争や革命を引き起こす源泉なのかもしれない。皮肉で残酷であるが、戦争や革命による蕩尽を通して、はじめて共同体に死の意味を共有させ、その蕩尽自体が信仰や信念の臨時形成に繋がっている可能性がある(相対主義は縮小)(戦時には自殺率が低下する。共同体意識の強化も要因か)私達1人1人の個人意識に戦争や革命などの人為災害の要素が形成されるのではないか?であるなら、個人の妄想を軽くすることも戦争や革命などの回避方法かもしれない。戦争や革命など大きな理想がアヘンの役割となって人間を稚拙で甘い理想に誘惑しているのかもしれない。であるなら「戦争や革命や国家崩壊」は政治や経済からのみではなく個人意識を大きな源泉としている可能性がある。個人的には資本主義への過剰適応から米国と日本が最も共同体崩壊が進んでおり「戦争や革命や国家崩壊」の舞台の主役になる蓋然性が高いと感じる。※『桜島』『俘虜記』『死霊』などの敗戦直後の戦後文学によって戦時意識の文学体験も有効と思われる。
■※【ウクライナのナショナリズム浸透と戦争準備期間について】
古代から近代まで歴史的には、ナショナリズムがそもそも旺盛な国もありますが、戦争直前もしくは戦争中にナショナリズムが浸透する国もあります。近年のウクライナ侵攻においても、ウクライナにナショナリズムが発生したのは2014年ロシアのクリミア侵攻によって、突然ウクライナに外国軍が侵攻し領土も国民も併合されてからかもしれません。つまり2014年に軍事侵攻がはじまるまでウクライナは政権を巡って国内混乱のイメージがあり、国内全土に強いナショナリズムは見られませんでした。
2014年クリミア併合後にはナショナリズムと防衛議論が沸騰し事実上の戦争準備に入ります。最初の軍事侵略から8年後に本格的なロシア・ウクライナ戦争が起こりました。2014年の大きな地政学的危機からナショナリズムが国民に浸透し、民間防衛を含む戦争準備期間に8年掛け、2022年2月に本格的な戦争がはじまって10カ月。軍事大国(核所有国)のロシアとの戦争に現在でも持ちこたえています。敵国ロシアや米国など他国の軍事専門家も、ここまで対等に戦えたのはウクライナのナショナリズム勃興と8年間の戦争準備内容にあることは認めています。
今後の戦争の展開は予測できませんが、2014年のロシアのクリミア侵攻にウクライナ国民が「理不尽で一方的な侵略」と民意を固めてからは、ウクライナ国家の生き残りのためにはナショナリズム浸透と戦争準備が政府や議会の方針となり、またウクライナ国民が同意し準備を進めてきました。しかし米国とロシアの代理戦争の構図が浮かび上がり、核恫喝からロシア国土へ攻撃が制限され、米国やNATO参戦しないなど「制約のある戦争」であることも鮮明になっています。現在のこの状況から考えれば、ウクライナが自主防衛や核武装で負けない戦争を準備することも可能であったと思われます。戦争の準備期間は終了したので後悔先に立たずとなります。
国家と国民の生き残りを掛けた主体(立場)であるなら「どうして自主防衛と核武装ができなかったのか?」と深刻なテーマ(政策準備不足)をウクライナで数百年と議論されるはずです。「制約のある戦争」ではなく、ウクライナがウクライナの国益のための戦争にもできたはずです。自主防衛の準備不足のために、米国とロシア、NATO加盟国などの大国が「制約のある戦争」舞台を整えていることは明白です。自主防衛が十分準備できない場合、大国の論理で戦争に巻き込まれてしまう可能性が高まる実証戦争とも観ることができます。
ウクライナにおける2014年クリミア侵攻のように、外国軍が沖縄に侵攻し一方的に併合した場合、その後日本にナショナリズムが浸透し戦争の準備はできるのか?の問いに日本国民と政府はどう判断するでしょうか?台湾ではなく沖縄がハイブリッド攻撃の突然の侵攻併合された場合の議論が成立していません。取り返すための戦争準備をするためには一定のナショナリズムが前提となります。現在の日本は沖縄が理不尽に軍事侵攻されても、ナショナリズムが浸透せず、ナショナリズムが小さいまま戦争準備ができない蓋然性が高いと思われます。第二次世界大戦前のフランスは平和主義でありナショナリズムが浸透する前にナチスドイツに占領されました。
■※【ナチスドイツ占領下のフランスにおけるナショナリズム浸透と抵抗運動について】
結論から第二次世界大戦前のフランスの戦争準備は政治判断ミスの大失策でした。第一次世界大戦の戦勝国であったにも関わらずフランスは、戦争被害の甚大さから「戦争だけはもうごめん」経済的にも心理的にも国民も疲弊していました。フランスの戦争終結であるベルサイユ条約からナチスドイツが軍備拡張政策に乗り出すまで、わずか14年間。フランス国民は「戦争だけはもうごめん」の空気であり適正な自主防衛政策を怠り、国民には「平和主義」や理想主義が浸透しフランス政府もナチスドイツに宥和政策を取っていた。
自主防衛政策より外交政策でソビエト連邦とドイツが戦争をはじめるよう都合よく想定し宥和政策でドイツを放置していました。国民は平和主義の空気で政府は宥和政策で一致した非戦の意識でした。これがその後フランスを地獄へと導くことになります。「前回の戦争からたった14年でまた大きな戦争になるはずがない」との楽観的な空気から、戦争に巻き込まれるどころかフランス領土を軍事占領されてしまう結果を招きます。
戦後、戦間期のフランス平和主義と宥和政策は間違った政策であったことを政府も国民も認め歴史認識となりました。一歩間違えば、ナチスドイツ占領からフランスは植民地となり滅亡していたかもしれません。すなわち戦争前にフランスはナショナリズムの浸透が不十分であり、平和主義(楽観論)から戦争準備ができませんでした。しかしフランス領土をナチスドイツに占領されフランスにヴィシー政権が誕生すると、フランスの一部において反ナチスドイツのナショナリズムが発生し始めます。
(以下ウキペディア・フランス語版抜粋含む)
ナチスドイツの傀儡政権(衛星国)であったヴィシー政権はフランス共和国を廃止、フランス国とします。その後ドイツは自由地区の占領を開始し、政府は完全にドイツの支配下に置かれた。動員されていたフランス兵は武装解除され武器はドイツに引き渡された。ドイツの要求はますます苛烈になり、1943年1月にはさらに25万人の労働者が要求された。しかしこれはフランス国民に強い不満を与え、徴用忌避者によるマキが組織される元となった。傀儡政権誕生から3年目にして理不尽な外国勢力に対し、ナショナリズムが勃興しはじめ反ナチスドイツ・反傀儡政権の組織化がはじまった。フランスは戦間期に戦争準備ができなかったばかりか、ドイツ傀儡政権に陥って3年以上もの間、一般国民に亡国危機のナショナリズムが発生することはなかった。支配下に置かれた状況すら国民はみとめようとせず、奴隷労働が大規模に募集されはじめた段階で、国民は国が支配を受けていることを実感し、反ナチスドイツや外国勢力支配に対する抵抗運動がはじまります。平和主義(楽観主義)によってフランスは植民地や亡国の寸前まで追い詰められました。国民が亡国危機を実感しナショナリズムが発生した瞬間でした。
抵抗運動や独立運動をドゴールの自由フランスと国内レジスタンスに分けることができます。マキはレジスタンス活動をおこなっており、次第に全国的に組織されるようになった。ただし、アルジェ臨時政府に近いForces françaises de l’intérieur(FFI)系列や、共産主義を奉じるFrancs-Tireurs et Partisans Français(FTPF)系列など、いくつかの系列があった。森や山など人里離れた場所に潜伏して活動した。マキの規模は10人程度から数千人におよぶものまで様々だった。マキザールの政治的傾向は様々であり、右派的なナショナリストから左派的な共産主義者までを含んでいたフランス南東部のベルコールの山岳地帯でドイツ軍の包囲を受けて戦い全滅したベルコールのマキなどの名がよく知られている。強制労働サービス (STO )の公布により、何十万人ものフランス人がマキに参加するようになりました。
占領軍 (主にドイツ人) とヴィシー政権の軍隊に対する諜報活動と妨害工作、および地下報道、ビラの配布、虚偽の書類の作成、組織化などの市民活動。ストライキとデモ(活動的で組織化されたレジスタンスがフランスの人口の 2 ~ 3% 以上)歴史家は、厳密に軍事的にレジスタンスのさまざまな徴候を推定したいと思うかもしれません。連合軍に対する占領国のレジスタンスの貢献度を15 個師団に相当するとアイゼンハワーは評価しました。
最初のレジスタンス宣言は1940 年6 月18日 BBCの放送波で、ドゴール将軍はラジオで軍事技術を持っているすべてのフランス人にロンドンに来て彼に加わるよう呼びかけました。彼の呼びかけに応えた人々は、自由フランスはすぐにフランス本土に諜報網を作った。外国の占領に対する反動と国家独立のための軍事闘争。これは、大多数のレジスタンス戦士の主な動機の 1 つです。代表的なレジスタンス団体「マキ」では、構成員は若い男性です。たとえば、ブルゴーニュのマキでは、マキザールの 90% が若い独身男性で、通常は 22 ~ 25 歳のグループでした。レジスタンス運動の人口は主に都市部です。抵抗者の社会的起源は、各運動に固有のものです。したがって、OCMは基本的に中年男性、多くの場合、民間および公共部門の上級管理職を集めます。Défense de la Franceは、より具体的には学生と公務員を募集しています。独ソ協定の崩壊後に共産主義者によって創設された国民抵抗戦線は、誕生時には労働者階級の特色が濃かった。
諜報ネットワークは、ネットワーク活動に関連する特定の職業をより具体的に募集します。陸軍将校、鉄道労働者、出張の多い販売員、メールボックスとして機能する店主などです。たとえば、Manipuleネットワークの 600 人のエージェントのうち、20% が女性で、50% が 30 歳未満です。公務員の大半は都市居住者です。25% が熟練労働者または技術管理者で、25% が従業員または下級公務員です。残りは学生、リベラルな職業、または兵士で構成されています。共産主義者はその後、その組織能力を通じて、ナチの占領者に対する抵抗において重要な役割を果たしました。彼らは孤立から抜け出し、自由フランスなどのフランス国内のレジスタンスの他のグループにも協力しました。マヌーシアン グループ( FTP-MOIのパリ セクション) は、1942 年から 1943 年にかけて、フランスで最も活発な武装レジスタンス運動であり、2 日ごとに武装作戦を実行していました。その参加者は、ヴィシー政権の直接の標的となった共産主義の外国人であり、その大部分は無国籍のユダヤ人であったため、非常に強い決意を持っていました。共産主義者のジョルジュ・ギャングワンは、1940 年からいくつかの小グループを結成し、1942 年から 1943 年にかけてリムーザン マキの形成に重要な役割を果たしましたが、その後のこのマキの運営はさまざまな管理下にありました。その後、党の規律よりも地下組織に内在する区画化のルールを優先し、ギンギンは党の構造に対して大きな独立性を維持した。学生はグループに横断的であり、共産主義者は、非共産主義者の抵抗運動にも参加しています。フェリックス・グアンは社会主義者を代表するため にロンドンのシャルル・ド・ゴールに加わった。レジスタンスグループがすでに形成されています。彼らは社会主義の過激派だけでなく、極左の過激派でも構成されています。彼らは仲間になります。労働組合員は多くの場合、ドイツの軍需工場で諜報活動や破壊活動のネットワークを構築するのに適していました。元労働組合員で構成された関係ネットワークは、一定数の過激派をレジスタンス運動に参加させることができました。政治的スペクトルの極右に反対して、学者の間で多数の反ファシストが解放運動 の創設に重要な役割を果たしました。
『共産党や労働組合などはもちろん、保守的な教会、軍隊、貴族などの多くの伝統組織も、レジスタンス闘争に大きな敬意を表しています。例外を除いて、経営者や経済団体はレジスタンスに非協力でした。』米国の民主主義や共同体研究において、トクヴィルは中間団体を重視しました。中間団体とは、政党や組合、教会、業界団体などのことです。中間団体が機能していれば、人々は専制的な中央権力に従属するだけではなく、自分たちの意見や利益を政治に反映しようとすることができます。民主主義において、平時においても中間共同体は重要な機能を有していますが、戦時においてフランスのレジスタンスにおいて、共産党、保守的な教会、軍隊、貴族などの多くの伝統組織や中間共同体からレジスタンスの意志が形成されており、地域ごとのレジスタンス・マキ参加動機に関しても、これら中間共同体(保守・革新も含む)が大きな役割を果たしています。
合計で、撃たれ、戦闘で死亡し、国外追放で死亡したすべてのレジスタンス戦闘員を合計すると (組織化されたレジスタンス)、内部レジスタンスの下でフランスのために死亡した約 37,500 人のレジスタンス戦闘員の数に到達します。約 3,900 人の民間人のレジスタンスによる死亡者を加えると、約 41,500 人の死亡者数になります。積極的にレジスタンスに80万から100万人が参加したと考えられえる。
フランス自体では、初期レジスタンス戦士はほとんどいません。彼らは最初にドイツの占領者に対して行動します。協力が始まるとすぐに、彼らはヴィシー政権にも立ち向かいます。これらの抵抗運動家は全員が同じ政治思想を持っているわけではありませんが、何よりもまず国家存続(独立)のために、ファシズムと戦っています。第二次世界大戦中ナチス占領下のフランスにおいて、徐々にナショナリズムが浸透していった。多くの国民が思想党派をのりこえ、フランス独立のために団結した時代があった。保守層から革新層まで(一般人も含む)、フランス独立ためのナショナリズムで一致した。各組織やグループのルールより、ナショナリズムからレジスタンス行動を優先させ力を合わせた。国内抵抗運動はハードなナショナリズムでありパトリオティズム(愛国主義)も発生していた。
日本にも労組や農協、業界団体、村落共同体など、多くの中間団体がありますが、平成期において壊滅的に脆弱化し崩壊に向かっています。トクヴィルの民主主義国における重要組織は日本では危機的状況にあり、平時の国家没落から戦時にはレジスタンスの源泉となる中間共同体が崩壊中であり、日本は平時であれ戦時であれナショナリズムがほとんどゼロとなり、一定のナショナリズムが形成されず、健全な戦争準備もできず、領土が侵攻された場合でも抵抗運動(レジスタンス)もできず、海外勢力の傀儡政権が継続し事実上の植民地となり、滅亡・亡国へ向かう蓋然性が高まっている。ナチスドイツ占領下のフランスに共産党、保守的な教会、軍隊、貴族などの多くの伝統組織から新しい組織まで中間共同体が崩壊していた場合、フランスは反ナチスや抵抗運動もできず、ナショナリズムが発生せず、自由フランスもレジスタンスも浸透しなかったかもしれません。国際法違反で理不尽に日本領土が侵攻され外国勢力の支配下に置かれた場合、亡国危機のナショナリズムが発生し、日本は抵抗運動や独立運動ができるのでしょうか?また、軍事占領後に抵抗運動や独立運動ができない場合、どのような国となるのでしょうか? 抵抗運動自体ができない国はもちろんですが、歴史はナショナリズムが発生し抵抗運動をしたとしても植民地(亡国や滅亡)となってしまう国が多いことを証明しています。かつて繁栄した清国はナショナリズム(愛国主義)が発生し抵抗運動や独立運動にも関らず滅亡しました。
※「マルクス主義の革命」も「全体主義の戦争」も虚偽である。マルクスは宗教はアヘンであるとしたが、【国民や国家にとって革命や戦争こそアヘンである】とシモーヌ・ヴェイユは考えたのではないか。革命や戦争が稚拙理論の麻薬であると確信しても、自由フランスに参加しレジスタンスとして戦った。当時、無名のシモーヌ・ヴェイユの思想や行動もフランス・ナショナリズムの潮流として統合されたに違いない。
■※【豊な歴史文化を有する満州人の清国は亡国危機により、ナショナリズムが浸透し抵抗運動も起こるが手遅れとなり滅亡した。満州人は漢人国家の成立から排斥され支配され、少数民族として各地に散在している】
女真族の金王朝を経て太祖ヌルハチから清国を繁栄させた満州人。国内混乱やイギリスとのアヘン戦争、日清戦争などによって半植民地化へと没落を繰り返す。滅亡や亡国危機から近代化と独立のために「洋務運動」や「戊戌の変法」など抵抗運動が発生した。清国政府の中から、従来の洋務運動(清朝体制をそのままにして西洋の技術だけを取り入れようという運動)の限界を克服し、隣国の日本の明治維新にならった政治体制の変革・近代化が必要であると認識されるようになった。ナショナリズム(愛国主義)も各層に浸透する。列強による侵略が進行する中、地政学的危機意識からナショナリズムが浸透し、腐敗した清朝を打倒すべしと説く革命派もいれば、立憲君主制を提起する漸進的改革派もいた。革命派や改革派の内部にも多様な派閥・主張があった。しかし彼等は政治路線が異なるにもかかわらず、愛国主義というナショナリズム的な意識が浸透した。
変法自強運動の康有為や梁啓超らと光緒帝は改革のクーデター(戊戌の政変)を起こすが保守派に鎮圧される。ここに満州人と清国の近代化革命が失敗に終わる。満州人は独立国家を創れず、漢人が創った近代国家において、満州人は排斥され支配され、少数民族として各地に散在することになる。滅亡した国は主権を維持できず、外国勢力(革命勢力)である漢人に支配されることになります。満州人の国は滅亡した。満州人が再び独立国をもてるか否かはて歴史上の問題となってしまいました。日本人の日本国も亡国し、中国の一地域として特別自治区日本として(やがて少数民族として)一国二制度で統治されるかもしれませんが、やがて香港のように統治されるかのかもしれません。台湾や日本も亡国危機である大きな地政学的危機が到来する可能性が高まっています。
もしくは台湾と日本は戦争に至らず、親中政権から傀儡政権となり、事実上の米国の東アジア撤退に伴い、武力衝突なしに中国に併合される可能性もある。そのときは台湾人もウイグル人も日本人も平等な民族として中国に併合されるのかもしれません。やがて満州人のように日本語教育をできない環境が整えられ、特別自治区から中国全土に日本人が散在していくかもしれません。少数民族として認知はされますが、漢化や中国化によって日本人が事実上の絶滅に至り、和食や和服などが文化として残存するのみとなってしまうかもしれません。国家を失うということは民族や独自言語が失われ、文化や歴史としてのみ残ることになります。台湾や日本の他にも、近隣の韓国やベトナムなども一国二制度で統治されるかもしれませんが、ベトナムは歴史的に何度も中華王朝やモンゴル、フランス、日本などの支配を受けました。外国勢力が拡大した際には支配下に入りますが、ベトナム人は完全に属国化せず民族消滅もせず、ベトナム人として一定の民族意識を維持しながら外国勢力が縮小しはじめると、再びベトナム人の国や王朝を再構築してきた。支配下となっても「いつか必ずベトナム国家を再構築する」という歴史的な民族的強靭性を有している。日本の生き残りにとって重用な歴史を有しているかもしれません。
※梁啓超は福澤諭吉や徳富蘇峰の影響を受けており、近代中国初期の保守思想家としての側面もある(孫文は革命思想)。以下、吉澤誠一郎氏より※米国留学において「トクヴィルが何より民主政の問題について関心を注いだのに対して、梁啓超は亡国の回避に関心を集中している点を指摘する。それはとりも直さず、梁啓超だけではなく当時の中国の知識人にとって「亡国」の回避が最大の関心事であったことを示している。梁啓超の実感した亡国の危機意識を乗り越える道として、中国ナショナリズムといわれる思潮が模索され、「民族主義」「国家主義」「国民主義」「愛国主義」などと表現される思潮が急速に形成されるという。
■※【歴史的に強靭な独立性をもつベトナムは中間共同体である『社』が強固な村落自治伝統を維持してきたことに基盤がある】
清国のように抵抗運動もナショナリズムも浸透しはじめたにも関わらず、手遅れとなり滅亡する国や民族が無数にあり、さらに独立した民族や国家であったにも関わらず、ナショナリズムが発生せず、抵抗運動も起こせず、統治下で国や民族の独立性に制限をかけられ言語や文化も抑制されても独立運動に発展することができず、無数に滅亡した国や民族がさらに多いことを歴史は証明しています。日本は島国であり、外国勢力に統治された経験が極めて少なく(太平洋戦争の敗戦後)ヨーロッパ史や中国史のように、外部勢力からの侵略の繰り返しのような大陸の過酷な戦争史を経験しませんでした。抵抗運動や独立運動をしても、しなくても多くの国や民族が消えていきました。(文化としてのみ残存)しかし歴史的に大国や帝国でないにも関わらず、繰り返される支配を受けながら、完全には支配されず、チャンスの度に抵抗運動から独立をくりかえし、長い歴史を維持してきたベトナムは希少な民族(国)であり、貴重な歴史的な「生き残りの経験」を持つ国であると思われます。
約千年間もの間中国王朝の支配下にありながら、完全には支配されず民族や共同体や文化を維持し、その後ベトナムの独立王朝が出現しますが、モンゴル、中華王朝、フランス、日本などの支配下となり、米国の侵略を受け同じ民族同士が殺し合うベトナム戦争(共産圏と米国の代理戦争)も経験します。ベトナムは歴史的に民族や共同体の独立意識が強く、広義のナショナリズムが内包された民族(国)である。亡国は一時的なものであり滅亡を回避し、完全には支配されずチャンス到来から再び独立する。大陸の過酷な地政学的危機から繰り返し復活し独立を再構築してきた。ベトナム強靭性の本質を観る。
以下、岡江恭史氏 ベトナムの「自治村落」と農民組織より・・・ベトナムでは村落自治の伝統が存在すると前述したが、その具体的な機能を以下に紹介する。 『社』と呼ばれる行政村には、朝廷から官吏が直 派遣されることはなく、村民によって選出された 組織が自治の担い手となっていた。 村落有力者たち の会議が村の重要事項を決定し、 里長 (村長) ・ 副里・ 自警団長などの村役人たちがこの決定を遂行し国家 力(具体的には地方官) との折衝役を務めた。 中央政府は特定の村落でだれがどの土地を所有しているのか、または兵役や人頭税の対象となる人々が誰 と誰であるのか、その実態を正確に把握できなかったので、微税賦役機などは村落に請け負わせる以外なかった。 そして村落はその見返りに、政府 からの干渉の多くを免れることができた。ベトナム北部の諸王朝の君主は、対内的には皇帝を名乗る一方、中華の諸王朝に対しては皇帝より一段下の王を称して下手に出る、という二重制度(外王内帝)が一般的となった。
侵略や戦争から民族や国の独立維持をするためには一定のナショナリズムの源泉となる『中間共同体』の存在と意識が鍵となる。抵抗運動やレジスタンスのモチベーションは各種の多様で豊かな共同体から発生する意識である。日露戦争の日本や、ナチス統治下のフランス、末期の清国、特に代理戦争に巻きまれ米国と戦ったベトナム、それぞれの国や時代で中間共同体が一定のナショナリズムの源泉であった。この文脈から日本は現在からでも、長期に渡る共同体の再構築をはじめる必要がある。しかし2020年代に日本が地政学的危機に巻き込まれた場合は間に合わない。よって急場の短期間に一定のナショナリズム浸透が必要となる。それら長期間に及ぶ共同体再構築と急場短期間であるが一定のナショナリズム構築を「柔らかいナショナリズムの誕生」のタイトルとした。
■※グローバリズムや新自由主義経済によって先進国の共同体没落や破壊は進んいる。米国と日本は20世紀後半に最も高度資本主義に適応し成功した国である。その資本主義への過剰適応から、米国は戦争拡大や新南北戦争に向うかもしれない。日本は戦後、特殊な敗戦事情から家族や地域共同体が崩壊し、仕事場へ共同体意識が一極集中した。バブル崩壊やデフレによって先進国で最も衰えた経済を平成に維持した結果、最も強固な日本の共同体意識である「仕事場」が没落した結果、日本は先進国でも最も共同体意識が破壊された国である可能性がある。よって分断さえできずバラバラで脆弱な個人と脆弱な国家だけとなり、運よく戦争に巻き込まれることがなくても、ソビエト連邦のように急性アノミーから自ら国家崩壊してしまうかもしれない。であるなら2020年代には著しい機能不全が表面化するはずである。
先進国の共同体崩壊が最も酷いのは米国と日本であると考える。日本は地政学危機が発生しない場合、戦争ができないのでスペインや英国の没落からの撤退戦のように国家維持ができず、また革命どころか国家分断さえおこせない脆弱な個人集合体である。一定のナショナリズムが維持できればスペインやイギリスのに撤退戦を繰り返し長期の国家維持ができる。日本は政治体制循環論をとりいれ、当面は大きな政府へ向うべきタイミングであると思える。
日本人の命をおとす可能性の縮小や戦争自体を国益のため回避すべく戦争の準備をせざる得ない。戦時に戦いに反対する者は現在から、戦いをさけるための具体的戦略を提示する責任がある。戦争の準備をしない立場なら、戦争に巻き込まれた際の具体的な戦略を示す責任がある。地政学的危機が近いとするなら「戦争準備反対の平和主義」には重大な戦略提示責任があると思われる。70年以上このような過酷な判断を国民から政治家まで回避してきた。もう回避するべきではない時代が到来している。
【日本が生き残るための戦時ナショナリズム】Wartime Nationalism for Japan’s Survival
日本が生き残るためのナショナリズムは保守やリベラルを含め多くの国民に必要な思想です。Nationalism for the survival of Japan is a thought necessary for many people, including conservatives and liberals.
①現在ほとんどの日本人の生き残りのために国家は必要である。A state is necessary for the survival of most Japanese people today.
② 国家の生き残りには一定のナショナリズムが必要である。A certain level of nationalism is necessary for the survival of a nation.
③よって現在、日本には一定のナショナリズムが必要である。Therefore, Japan now needs a certain level of nationalism.
戦後77年の2度に渡る、マツリゴトの目隠し(敗戦と安保)から、日本人が目覚めざるえないときが迫っている。近代日本に3回目の地政学的危機が迫っているからだ。日本はあと2段階の没落と、外発的な地政学危機も加わり、米国が東アジアからの軍事的撤退局面(2030年代)には、内政の混乱に陥り、急進的な全体主義に至るか、滅亡直前の機能不全社会に至るか、または両方が混在する社会に陥る可能性が高い。近代日本3回目の亡国危機が迫っており、戦後2度のマツリゴトの目隠しから、目覚めなければならないときが迫っている。
2020年代に、柔らかいナショナリズムが、誕生するか否かで、次の亡国危機への対応範囲と戦略範囲が決定されるだろう。共同体の再構築も同時並行すべきだが、それだけでは間に合わない。2020年代に日本人が「国」へフォーカスすることが、個人の生き残りの最期の砦であることを認識する必要がある。その認識こそ、柔らかいナショナリズムの浸透である。
経済危機の長期化と食糧エネルギーの将来不安が、10年間の大不況の最期に1929年世界恐慌と1930年の昭和恐慌によって、日本は、1931年には、未曾有の経済危機と農業危機が発生した。1920年代より(追い詰められた)急進的ナショナリズムが、軍、メディア、国民に浸透していたため、同じ1931年満州事変勃発より、1939年の第二次世界大戦に巻き込まれて行った。1920年代の恐慌や大不景気の停滞から、1930年の昭和恐慌が経済的致命傷となったといえる。1930年より社会は大混乱となり、急進的・帝国主義的ナショナリズムが後押し海外侵略によって「10年以上停滞する経済危機と1930年からの未曾有の経済危機」を回避しようという意思が1931年満州事変勃発に顕在化してしまう。
よって令和初期の2020年代には、①経済危機を停滞させてはならない②食糧・エネルギー不安を早急に解決する③国防安全保障の準備によって侵略を防ぐ。日本の海外侵略は経済危機の回避に有力ではない。令和の国防は「日本を再び戦場としない」ことに徹すべき。急進的ナショナリズムによって国家間競争のみを、経済危機回避の唯一の方向にしてはいけない。国際競争にこだわりすぎなくとも、国内中心で「生きがいがある国をつくろう」とすれば、少なくとも過剰な閉塞感は回避され、戦争に頼らず経済危機に対応できるはずです。大国間の戦争論理に巻き込まれてはいけない。他国の紛争に加わらないで、防衛に徹するべき。再びおいつめられないように、経済・食糧エネルギー・国防・安全保障を日本主権で進める。
経済・食糧エネルギー、国防に追い詰められなければ(追い詰められても)急進的ナショナリズムではなく、柔らかいナショナリズムの浸透の準備ができれば、戦争を回避し【日本を再び戦場にさせない】可能性を高くできる。「ナショナリズムゼロ」でも「急進的ナショナリズム」が浸透しても【日本は再び戦場となる】可能性が高まると思われる。
第三次世界大戦と全面核戦争の危機「ウクライナ侵攻から21世紀のキューバ危機へ」
■柔らかいナショナリズムによって「生きがいのある国をつくる」と同時に、以下3つの安全保障政策は重要と考える。「日本を再び戦場とさせない」とするなら、この3つは重要要因と思われる。
①深刻な経済危機停滞の回避
②食料エネルギーの安全保障
③自主防衛と核武装(自主防衛力強化と軍事技術の独自開発における段階的推進政策が必要)
自主防衛と核武装によって、日本が戦場となる可能性を小さくできる。ウクライナは自主防衛できていなかったことも、戦場となってしまった一要因であり、ロシアは核武装要因から自国領土が戦場になっていません。【自主防衛は国益ではない戦争に巻き込まれにくいメリットがある。核武装は自国領土が戦場になる可能性を小さくさせるメリットがある】
【日本の戦時ナショナリズム政策】
政府や各政党は以下8点を政策や綱領に明示すべきである。また政治・経済などの社会科学の学者は以下8点の戦時ナショナリズム政策を研究発展させるべきである。
① 段階的な国家主権の回復(中・長期)
② 段階的な自主防衛政策(中期)
③ 段階的な食糧・エネルギー・資源の自給率目標(中期)
④ 核シェルター兼防空壕の国家事業(短・中期)(大規模な建設国債を数十年単位)
⑤ 核武装(中・長期)
⑥ 傀儡政権の定義と法整備と対応策(短・中期)
⑦ 一方的な日本領土の侵略侵攻に対する政府と民間(抵抗運動)の対応策(短・中期)
⑧ 国家主権回復と自主防衛回復と同時に日本独自の国益政策へ(大国の戦争に忖度しない外交政策など)
※核武装は国家として自律と自立すること。核を持たないことは、他国の思惑やその時々の状況という、偶然に身を任せ、日本が再び戦場になる蓋然性を高めている(核を持たないことは日本が再び核攻撃を受ける可能性も高めている)地政学的危機に日本は本質的論議がなく楽観論であり、戦時の死傷者や被害を拡大している。戦争に巻き込まれる準備が必要である。
日本が生き残るためのナショナリズムは保守やリベラルを含め多くの国民に必要な思想です。【日本が生き残るための戦時ナショナリズム】
■※2020年代の日本は少年ジャンプの漫画が映画化したり実写版になったりでもなく、漫画のストーリーが現実になる時代となる可能性が高まっている。もちろん安易に、少年ジャンプの正義を肯定することはできません。戦闘と暴力が現実となります。少年ジャンプのストーリーと現実が一番違うのは、現実の世界では主人公が勝利するとは限りません。また暴力や戦闘には勇気も必要になりますが、現実は恐怖と絶望も伴い深刻な苦しみも伴います。
誤解を招く恐れはありますが(漫画世代の直観的理解のため)ドラゴンボールに例えるなら、戦前・戦中の日本人はサイヤ人でした。しかし敗戦によって米国・フリーザ軍の支配下となり、戦後サイヤ人の主体は消え去り、ナメック星人に変容しました。性質は概して温厚で穏やか。親切で礼儀正しく、無駄な争いを好まず平和主義を願う者が多い頭脳明晰な知力が残る。しかしフリーザ軍の支配下に置かれている。ナメック星人は龍族と戦闘タイプの二つの種族に分けられている。ナメック星人の多くは龍族の賢者タイプで、戦闘タイプは稀で少数である。戦後の日本はナメック星人になってしまったのですから平和主義主義が多数派です。しかし地政学危機が近いのであれば戦闘タイプの少数のナメック星人が出現するはずです。
日本の生き残りのためには「戦時ナショナリズム」を浸透させる、独立を守るための戦闘型ナメック星人・日本人が出現します。少数であれ賢者の戦闘型ナメック星人が出現しなければナメック星は滅亡するしかありません。フリーザ軍(米軍)の支配下にあることや、悟空に助けてもらう(戦前の帝国ナショナリズム=スーパーサイヤ人に変身)発想しかないままなら、ナメック星は近い将来滅亡するでしょう。日本は現在、滅亡の危機に再び突入しようとしています。少数ですが賢者の戦闘型ナメック星人が出現するタイミングと思われます。(少数の救国日本人=ピッコロ:このイメージは適当ではありませんが)
「柔らかいナショナリズムの誕生」日本を再び戦場とさせないために【あとがき】