近代の終焉と新オリエント時代「21世紀の人類の危機は2つの蕩尽現象」「米国は崩壊か革命か戦争へ」「日本の生き残りについて」「世界的なオミクロン楽観論について」

バリ島の儀式

■2022年1月10日 臨時投稿【2月1日に削除または延長記事】

mRNAワクチン接種が低レベルな地域であり、社会規制や生活予防が難しいインドやインドネシアは要注意である。インドやインドネシアなどの途上国・新興国地域(低所得国・中所得国)においては、またしても医療崩壊、死亡者数増加、ロックダウンも想定すべきタイミングと思える。

特にインドやインドネシアなど、過去に大きな被害を出した国や地域はmRNAワクチンを接種するタイミングと考える。非mRNAワクチンを接種している場合、ブースター以降の接種はmRNAワクチンを接種に切り替えていくこと。オミクロン株以降も途上国や新興国の重要コロナ対策と考える。

12月からの世界的なオミクロン楽観論について 2022年1月10日

※以上、2月1日に削除または延長記事

 

■【2021年から2022年へ】来年にはパンデミックが収束するとのニュースも流れ始めている。早くも、太平洋戦争の終戦日である8月15日もイメージしてしまいそうだが、疫病が収束しても、コロナ禍の収束ではない。2022年は「終戦」ではなく、むしろ「開戦」の可能性が高いと感じる。日本も世界も、時代の深刻化を回避できないことは明らかである。世界有数の国際リゾート「バリ島」が2019年の状態に戻ることは難しく、幸運が重なった場合5-10年単位で回復の可能性もあるが、自身が生きている間に「2019年のバリ島」に戻ることは、残念ながら難しいと考える。

バリ島ブログなどのコンテンツ制作を18年間してきましたが、2020年2月パンデミックのニュースが世界中を駆け巡り、バリ島観光は閉鎖、現在に至り、旅行会社もドキュメントとオフィスだけの形だけとなりました。2020年3月からはバリ島ブログはパンデミックブログとなり、現在では疫病、経済危機、戦争、革命、飢饉などの社会混乱をテーマにしたノンフィクション小説系のブログに変容してしまいました。2020年、武漢からニューヨークまでロックダウンしたタイミングでは、SARS程度の疫病認識でした。3月、米国メディアにおいて世界恐慌再来の懸念が記事となっており、同3月に米国は間髪入れず、前例のない大規模な財政出動計画を実行準備していました。前例のない疫病パンデミックと世界経済危機を2020年3月に確信し、疫病と人為災害ブログがスタートしました。コロナ禍の社会危機の拡大は、他の人為災害を引き寄せ、規模の大きさから災害連鎖が発生する可能性が高まっていると思われます。20世紀前半のスペイン風邪と世界恐慌や2つの世界大戦を連想するのに、十分な規模のパンデミックが2020年に発生しました。

今年2021年の6月から8月にかけて、デルタ変異株がインドネシアで大きな被害を出しました。しかしインドネシアやバリ島でのデルタ変異株の被害は、インドネシア国内でも全く把握されていません。ジャカルタやデンパサールなどの都市周辺において、世界最悪レベルのコロナ禍による死亡者数の被害が出たと考えます。インドネシアの直接の疫病コロナの統計死亡者数は、7月8月のピークには1日1000人-2000人の死者が40日以上にも渡り出ましたが、実際のコロナ禍による死亡者数は少なくとも数倍以上の死亡者が発生している可能性が高いと思われます。デンパサール周辺の8月ピーク時の死亡者数も全く少ない統計値と思われます。バリ島では8月の3週間以上に渡り1日60-80人の死亡者数統計でしたが、実際には少なくとも1日数百人単位の死亡者数が3週間以上維持されていた可能性が高いと思われます。今年8月、デンパサールの自宅前道路には1日30回から40回程度ひっきりなしに早朝から夜まで救急車が通りました(12月現在は1日0回程度)4-5週間程度

9月にバリ島の病院、焼き場、バンジャール、村などに、電話連絡や直接のお話、バンジャールのKK代表などにも、繰り返し聞き込みもしたが、焼き場は長期間の混乱状態、病院はコロナ患者を収容できない状態、バンジャールや村の多くが「このバンジャールではコロナ死亡者はない」との答えが多い。最大の問題は診断や検査を避け、家族も本人も感染や感染死を恐れ故意に回避していたことである。統計の死亡者数はかなり小さい。7月のジャカルタ、8月のバリ島は文字通り地獄であった可能性が高い。ジャカルタの医師やデンパサールの医師にも意見を聞く機会があったが、医師会や各医療団体での医師の死者数は6月から8月にかけて、例年にはない過剰な死者数が発生しており、過剰死の急増は歯科医師にも及んでおり、医師死亡者数だけでも6月から8月にかけてインドネシアでは、直接の疫病による死と医療崩壊などによる間接死で甚大な死亡者数が発生したことが類推できる。2022年以降、インドネシアの人口動態統計によって、デルタ変異株被害が明らかとなる可能性もある。インドネシアを含め途上国や新興国ではパンデミックの死亡者数をはじめ被害数字が極めて少ない傾向にある。

突如、インドネシアは世界最悪の感染国家に、長期化の懸念、アジア変異種同時急拡大から世界的深刻化へ

 

■【コロナ禍死亡者数把握の意味と世界的メンタル危機】「新型コロナウイルス感染による死亡者数」と「コロナ禍による超過死亡者数」の踏査と研究が先進国であっても致命的に認知されていない。新型コロナのパンデミックによる各国に発生した影響は、まず2020年からのパンデミックによる超過死亡者数を重要な統計値として認識さいなければばらない。2022年中盤以降、各国の人口動態の集計結果と研究によって各国の「コロナ禍における死亡者数」が、研究機関からメディアに露出し、本格的なコロナ禍の災害規模が再定義されはじめる。途上国・新興国では、公式統計に表れていない甚だしい大量死が発覚すると思われる。

ドイツにおけるユダヤ人虐殺の被害は解明されはじめていると考えられるが、1965年のインドネシア大虐殺(産経新聞は推定、数年で50万-200万人と報道)はメディア露出が少ないので、公式調査がなく闇に葬られたままである。

途上国・新興国(インド、インドネシアなどの東南アジア、ロシア、南米、中東、アフリカ他、広域)の超過死者数は、すでに甚大な規模に発展しているが、全く不釣り合いに小さく、感染による死亡者のみ報道されている。2022年の後半を待つことなく、重要な人為災害規模の認知のため「コロナ禍における超過死亡者数」を各国は経過暫定数値であっても研究・公表するべきである。


2020年のcovid-19パンデミックに関連する過剰死亡:29の高所得国における年齢と性別の時系列分析

 

日本における新型コロナウイルス感染症流行期における超過死亡数および過少死亡数

ワシントン大学医学部保健指標評価研究所IHME  COVID-19超過死予測

 

新型コロナパンデミックにおける災害の規模把握をもとに、コロナ禍と戦争の比較によって、すでに現在、各国社会は戦時体制時以上のメンタルヘルス被害を出しており、すでに「悲劇と地獄」が顕在化して進行中であると認識する必要がある。戦時には危機把握により共同体の強化が意識されるが、コロナパンデミックにおいては、危機が誤認され共同体は分断し矮小化し、さらなる個人の孤立が進行している。適正な危機感が認識されていない。戦時体制では自殺者数の減少が起こるが、コロナ禍においては、ほんの初期以外、すでに自殺者数が増加に転じて久しい。戦争体制以上のメンタル崩壊が発生しているのにも関わらず、社会に適正な危機感が認知・共有されていない。国民のメンタル危機が経済や安全保障分野に顕在化することが予測される。

COVID-19と大規模空襲の比較:英国におけるメンタルヘルスの調査



■【近代の終焉と新オリエント時代①】現代の私たちは、歴史的な大きな流れの中にあるのか?ローマ帝国に関する研究や論文は数多く、芸術の域に達するほどであるが、歴史家は「近代」を好んでいるとは思えず、極めて重要な概念であると思われる「近代」は漠然した対象である。「近代」とは何か?私たちは大きな流れの中にあるのか?あるとすればどのような流れか?

「近代」とは、ウエストファリア条約の主権国家からはじまる国民国家の成立によって、史上類例のない強靭な共同体「近代国家」の誕生に象徴される。近代国家がヨーロッパから全世界に拡散発展していった時代が「近代」といえる。革命によって「市民社会」の成立と高度化。産業革命によって「資本主義」の成立と高度化。思想的には個人主義、合理主義、世俗化、自由主義が発展し、科学技術が急速に発展した。古代ギリシャ・ローマを思想的源流とした近代西欧文明が全世界に広がった現象が「近代」や「近代化」である。よって近代は単に時代区分の意味合いだけでなく「近代文明」のように歴史的な大きな流れである「文明」や「特別な時代」としての意味が含まれる。

「近代文明」の表記が科学的な用語に落ちついておらず、とりあえずの「大きな流れ」程度の表現に留まっている。よって仮設として「近代文明」を想定した場合、特質に関して確信に至るのは容易ではない。しかし、すぐに、他の文明と言われるものとの比較において【最も特質的であると思われる要素は「人口」や「規模」や「ダイナミズム」であり、文明の比類のないスケールや増進速度であろう】と、実は、誰でもすぐに想像ができてしまう特質を持つ。

世界人口の指数関数的増加。人口推移グラフは「産業革命」と「第二次世界大戦」を機に指数関数的増加(爆発的増加)が起こっている。これこそ、近代(近代文明)の最も特徴的でシンプルな根拠として捉えるべきである。名称として「近代文明」とするなら、他の文明とスケールを異にする未曾有の巨大文明といえる。後世「文明」という呼応でなく、もっと大きな流れをさす歴史的な呼応表現を必要とすることは容易に想像できる。近代や近代文明は、現在進行形でもあり、歴史的な説明は当然難しい。しかしながら、人類の歴史や社会において「最も大きな出来事」であり「極端にダイナミックな時代」であることは明瞭である。私たちは近代や近代文明という名称を頻繁に使用するが、まったくの「謎」であり、謎に「近代文明」というレッテルを貼っただけである。

近代や近代文明とは、宇宙物理学の「ビックバン」仮説、以上に「なぞ」であり、極めて大きな現象であるがゆえに、根源的な原因や意味付ができない対象である。なぜ、ビックバンが起こったか?なぜ近代がはじまったか?なんとなしのエネルギー現象としてのイメージしかできず、両者とも突然、爆発的な空間拡大や人口増加がはじまった、程度の認識しかできない。両者とも、根源的原因はまったくの謎であるが、発生直後から現在までの過程は重要であり、わたしたちの「共同体の定義」や「個人の生き方」のパラダイム形成に関わる重要な現象と思える。現在の政治や経済や社会の根底にある世界観のドラステックな変容が起こってしまうほどの重要なテーマに思える。近代や近代文明(仮名称)が研究対象として盛んに研究される時代が近い。21世紀に人類人口の不可逆的な減少が、歴史上はじめて発生する「ビックバン」仮説に例えるなら、宇宙がビックバンからの拡大から縮小に転じる瞬間が近くおこる可能性を示唆する論文が現れはじめたのだ。世界の人口推移に関する論文である。

近代を文明と仮定するなら、はじまりは恐らく、世界人口の指数関数的増進の最初のポイントに観える「産業革命」が適当と思われる。よって2021年の現在まで、ざっくり300年前後の現在進行形の文明とも考えられる。他、文明の名称をもつものと比較すると、文明とするには頼りないほど、時間が短いイメージである。そもそも「近代文明」の呼応自体が、まったく意味不明な漠然としたものであり「これ文明かよ?」と科学研究の対象ではない空気感漫才な用語である。しかしながら、私たちは近代という、あらゆる意味で、極めて例外的な世界(文明)に生きていることは直観的に理解はできる。

「近代文明」は主に、SFや宗教他、科学の領域外で多様される用語であり、文明と言っているが、実際は「文明っぽい」程度で、謎の大きな近代の流れになんとなく「文明」をつけている程度であった。ところが、近年、人口動態に関する論文に置いて「21世紀の後半にも、世界人口は減少を始める」という趣旨の学説が出現しはじめており、WHOの「2100年に世界人口100億予測」に対して米国の大学や研究機関をはじめ、22世紀を待たず複数の論文(早いものは2060年でピーク)が、人類の人口増加のストップが示唆されはじめた。この仮説が正しいとすれば「政治」「経済」「歴史」など、主な社会科学はもちろん、大きな発見であり、近い将来極めて大きいインパクトを国家や社会に与えることは間違いない。

https://www.yomiuri.co.jp/world/20201117-OYT1T50173/

https://wired.jp/2020/04/05/empty-planet-preface/

論文の一例では、ワシントン大学は「世界人口は2062年に97億でピーク」と予測し、その後世界人口は指数関数的減少に向かうとしている。これらの論文が増進していくだけで「自然災害」や「人為災害」によって、世界規模の大量死が発生しなくとも、人類始まって以来の「人類人口減少」が発生する。人類史や世界史に置いて、人類は人口を数千年という単位や数十万年という単位で、現在まで、波はあったが確実に人口増加させてきた。世界人口のピークとその後の指数関数的な減少予測は、大きな2つの意味を持つ。1つは「人類がはじめて世界人口を不可逆的に激減させる時代が訪れる」この仮説が現実に近くなるほど、各国の社会や人類全体におおきなインパクトを与えることは間違いない。人類全体が、長期間一貫して、人口減少をおこすのは歴史的に初めての現象である。ましてや指数関数的な世界人口減少など、歴史的(人類史・世界史)で起こったことはない。またそれが仮説として予測されたことが、今後さらに大きな影響を与える可能性が高いと感じる。

この仮説がもたらす、もう一つの大きな意味は「近代の終焉」「近代文明の終焉」であり、近代文明の科学的な歴史対象としての研究がはじまることを予測させる。当然のことながら、西ローマ帝国が滅亡する前の時代において、古代ローマ帝国の歴史研究は難しく不可能であった。これらの世界人口減少の歴史的な事件(仮説)は「近代文明」をはじめて歴史として、科学的研究対象として、近代をはじめて文明として捉え直す可能性を示している。

近代を近代文明(仮称)として過程するなら、産業革命あたりからの指数関数的人口増加をもって、文明のはじまりとするなら、2060年の世界人口のピークを文明の興隆期とすれば、近代文明(仮名称)は、おおよそ、はじまりから興隆期までを300年前後の期間の文明である可能性がある。第2次世界大戦後には欧米以外の地域の近代化がはじまり、指数関数的な人口増加が最も大きな関数(グラフの角度)をもって、急上昇をはじめた時期である。よって、興隆期のピーク(仮2060年)より指摘通り、指数関数的な人口減少が起こるとすれば(増加と同じスピードで減少と仮定)その後100年程度で、第2字世界大戦後の世界人口は95億程度から23億程度に激減、さらにその後200年かけて8億程度の人口減少と推定する。しかし文明や帝国は、はじまりから興隆期までの時間より、より短い時間で没落し、突然滅亡するイメージがある。よって、近代文明(仮名称)は、はじまりからピークまで300年前後と早めの没落を折り込むと、400年-500年程度の文明の期間であるともザックリ、イメージもできてしまう。

1950年から2060年までの110年間で、23億から95億までの指数関数的な人口激増であった。よって同じスピードで激減すると、2170年までに世界人口は、95億から再び23億に戻ってしまう(没落は早めであるかもしれず、人為災害のスパイラルでさらに加速の可能性)2060年や2021年の現在の世界の人口や国や地域が、第2次世界大戦直後の世界人口と国や地域へ逆回転してしまうとすれば、21世紀後半のピークアウトから22世紀前半まで何が起こるか?

20世紀前半には、疫病、世界恐慌、2つの世界大戦など歴史的に未曾有の「20世紀の人類の危機」、人為災害スパイラルが起っていた。21世紀も新型コロナパンデミックから「21世紀の人類の危機」を意識するときがきた。近代に入り「自然災害」から「人為災害」の大量死が加速度的に増加しいる。「20世紀の人類の危機」と比較して、「21世紀の人類の危機」に発生しうる人為災害スパイラルは、より深刻化する可能性を予測せざるを得ない。世界人口がさらに激増し、戦争兵器の進化、20世紀にはなかった、経済力と軍事力の均衡する覇権戦争、スペイン風邪比較にならない新型コロナによる社会停滞、世界恐慌を上回る規模の世界経済危機、ヨーロッパを中心に、三十年戦争、七年戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦と、実質的に最低4回の世界大戦が発生した。新型コロナパンデミックから21世紀の人為災害の大量死が繰り返され「20世紀の人類の危機を凌ぐ規模にはならない」と発想するのは楽観主義そのものである。

「21世紀の人類の危機」は各国の安全保障分野で想定しなければいけない。しかしながら、上記、近代や近代文明(仮名称)の終焉が想定されはじめる中で、幸運にも、21世紀に大規模な人為災害スパイラルが発生しないと仮定しても、21世紀後半に世界人口の指数関数的減少が起こった場合、人口のピークアウトから100年程度の期間に、95億から23億の大激減が起こった場合、それはいかなる現象なのか?参考までに第2次世界大戦前後の戦争・内乱災害の死者は、サックリ一億人前後である。

2060年から1世紀(100年)程度の期間に世界人口が76%(72億人)の激減とは、いったい何がおこるのだろうか?21世紀に全面核戦争が発生しても、これだ大規模な人口減少が発生するだろうか?(個人的に核戦争や第三次世界大戦は10億人程度の大量死のイメージであった)大規模な戦争も飢饉もなく、世界人口が76%(72億人)減少するとは何が起こるのか?疑問を解く鍵は近くにあった。すでに世界各国で人口減少は深刻な問題となっている。世界が注目する人口減少社会のトップランナーは日本である。この意味で多くの分野で社会科学者が、日本の人口減少に注目するのは、日本が先頭であるが、先進国はもとより世界中が人口減少を追加体験する可能性が高いからである。

日本の人口は、2060年には8,674万人になると推計されている。 内閣府の予測では、人為災害が連鎖さいなくとも、40年後日本の人口は30%ほど、ナチュラルに激減する。世界人口が100年後に76%激減に繋がるデータである。もちろん日本ばかりでなく、すでに現在(2021年)25カ国で人口減少が進んでいる。人口減少が起こる国は、2050年で35カ国と予測させる。先進国で豊かな国である、日本、韓国、スペイン、イタリア、東欧の国々の多く、今後もさらに増大すると予測。

中国は早くも、向こう数年で、人口減少がはじまってしまい、国によって時間差はあるが、インドもアセアンも、中東もアフリカ地域も、意外に早い段階で人口減少に至ってしまう。ブラジルやインドネシアさえも、21世紀中ごろには人口減少がはじまる。アフリカでは人口爆発が起こっているが、国家の近代化によって多産傾向が、意外に早い段階で終了してしまう。

現在から、先進国においては人口減少する国や地域は増加の一途であり、さらに中国、アセアン、インド、イラン(中東地域)やアフリカと、近代化が世界地域を一周してしまう。近代化できない地域であっても、人口増加にストップが掛かり始める。21世紀後半のある時期(世界人口90-100億程度)をピークとして、人類は史上はじめの人口減少起こり、それは指数関数的な減少(激減)である。永久に人口増加がないわけではないが、少なくとも近代文明(仮名)の終焉時期まで、地球人口が不可逆的に減少する可能性がある。

世界人口が100年後に76%激減して行ってしまう。100億人程度が、100年ほどで25億程度に向かい激減がはじまる。ここには戦争など、人類規模の破局的大量死が発生しなくとも、ナチュラルな自然減(主に少子化や多産の終焉)が原因で人口が激減していく。

近代化が地球を一周してしまい、やがて、ほとんどすべての地域で人口が減少しはじめる。近代文明は意外に早期に没落期を迎える。20年後の2040年頃には、世界人口の指数関数的減少が、より確実化し、世界中のメデイアで取り上げられるようになると「近代の終焉」や「近代文明の没落」が大きなテーマとしてフォーカスされるはずだ。地球温暖化問題も解決してしまうかもしれない。西欧の没落や、米国や日本の没落ばかりでなく、現在よりわずか、20年から30年後の21世紀の中盤には「近代文明の没落」が露呈してしまう可能性がある。

さらに現在より50年後の21世紀後半には「近代文明の滅亡」が想定され、世界中の大きなテーマとなっているかもしれず「近代終焉後には中世に逆戻り」という世界観が共有されるかもしれない。近代の次に来る新しい時代をポストモダンとするなら「ポストモダン=プレモダン」「近代の次の時代=中世」という、時代の逆回転がはじまるかもしれない。

1970年代から80年代にかけて、欧米で「ポストモダン」ブームなる現象が起こった。建築や芸術や哲学などの領域に留まり、ポスト構造主義やポストマルクス主義などの思想が、脱近代や超近代への流れにあると、ヨーロッパで起こったムーブメント。近代が根本的な変容を遂げるのではないか?と思われたが、一過性の流行であった。よって政治や経済などへの思潮までは至らなかったと言える。近代の近代主義の主流は変容しなかったのである。社会思想ではなく、個人思想への影響範囲に留まったと言える。

歴史的に前例がない現象である「世界の人口減少」これにより、近代が終焉に向かうとすれば、近代システムが崩れ、封建社会への大きな流れ、がはじまるかもしれない。近代が逆回転するとはいかなることか?近代の「近代主義」や「近代国家」「資本主義」「民主主義」「自由主義」「社会主義」「法治」「平等」「人権」「労働」「個人主義」「合理主義」「 科学や技術の進歩」など、300年程前から進歩、成長してきた近代の制度や思想が、没落・崩壊していく可能性である。

「ポストモダン=プレモダン」という、単なる近代の没落や崩壊。単に、つまらない未来とも感じるが、とても恐ろしい現象とも思える。身近な共同体である、家族や会社は、①スタートからピークまでの成長期、もしくは②縮小期である没落から破綻(崩壊)まで、社会や人々は、はたしてどちらが、どれだけ混乱し苦しむのか?どちらも、よいところ、わるところ、とも言えるが、国家などの大きな共同体や時代においては、おおよそ、没落から崩壊まで大混乱から地獄が発生することが多い。

国家より、さらに大きな単位である「近代」や近代文明(仮名)の没落・崩壊がはじまるとすれば、どれほどの混乱やどれほどの大量死が繰り返されるか?身構えて当然と思われる。大きな共同体の没落や崩壊において「個人」「芸術」などの「文化」は素晴らしいものが発展していく可能性は認めるが、ドラステックで集団的な地獄や大量死が身近で繰り返されるので、「科学や技術や新しい世界の可能性」など、楽観主義に陥っている場合ではなく、大きな流れでは21世紀の前半には「20世紀の人類の危機」の増幅現象、21世紀後半には近代文明(仮名)の没落と崩壊が顕在化しはじめ、2つの大きな流れが、人為災害スパイラルによる大量死を増幅させる。

 

■【21世紀の人類の危機は2つの大きな蕩尽現象】
①20世紀前半の増幅現象が21世紀前半に発生(爆発的な蕩尽現象)②21世紀後半に近代の没落と崩壊(ゆっくりすすむ蕩尽現象)①は人為災害の大量死が繰り返され発生②は世界人口の不可逆的な自然減によって発生。前半・後半としたが、現実は複雑に顕在化し、より多くの人為災害の犠牲者と、より早いスピードで世界人口が減少していく可能性もある。21世紀は2つの人類の危機(2つの蕩尽潮流)が顕在化する。20世紀の人為災害の大量死を超え、人類史上(世界史で)最も大規模な人為災害の大量死が繰り返され、人類史上はじめて経験する一貫した世界人口減少も発生する。

事実上の初期の世界大戦と言える「三十年戦争」「七年戦争」は、20世紀の2つの世界大戦のスケール規模からは小さな局地戦と感じられる歴史存在に成り下がってしまう。また、2つの蕩尽現象が現れる「21世紀の人類の危機」のスケール規模からは、20世紀の2つの世界大戦は小さな局地戦のごとく歴史存在に成り下がってしまうだろう。

人類はじまって以来、2種の「蕩尽現象」が発生する。前者は爆発的な蕩尽であり、後者はゆっくりとした静かな蕩尽である。人類はじまって以来の破壊と崩壊の時代を想定する。ビッグバン宇宙の縮小がはじまるのである。「人類の縮小」と言える。近代は縮小から終焉に至ると思われるが、人類の終焉とは限らない。ただし、後世、世界史において、21世紀は近代の終焉期として、最悪の人為災害のスパイラルと大量死の頻発・文明の大規模崩壊期・人類の暗黒時代などと表記されるのかもしれない。(歴史や教科書が存続していれば)
                               

“The crisis of humankind in the 21st century” shows a major flow of two exhaustion phenomena. (1) Amplification phenomenon in the first half of the 20th century occurs in the first half of the 21st century (explosive exhaustion phenomenon) (2) Modern downfall and collapse (slowly progressing exhaustion phenomenon) in the latter half of the 21st century (1) Repeated mass death of man-made disasters (2) is the world population Caused by irreversible natural reduction. Although it was the first half and the second half, the reality is complicated, and there is a possibility that more man-made disaster victims and the world population will decrease at a faster speed. In the 21st century, two human crises (two exhaustion currents) will become apparent. Beyond the mass mortality of man-made disasters in the 20th century, the largest mass mortality of man-made disasters in human history (in world history) will be repeated, and the consistent world population decline experienced for the first time in human history will also occur.

The “Thirty Years’War” and “Seven Years’ War”, which can be said to be the de facto early World Wars, have become a historical existence that seems to be a small local war from the scale of the two World Wars in the 20th century. Also, from the scale of the “crisis of humankind in the 21st century” where two exhaustion phenomena appear, the two world wars of the 20th century will become historical existence like a small local war. Twice

Since the beginning of humankind, two kinds of “exhaustion phenomena” have occurred. The former is an explosive exhaustion and the latter is a slow and quiet exhaustion. We envision an era of destruction and collapse since the beginning of humankind. The shrinking of the Big Bang universe begins. It can be said to be “reduction of humankind”. The modern era seems to go from shrinkage to the end, but it is not necessarily the end of humankind. However, in posterity and world history, the 21st century may be described as the end of modern times, such as the spiral of the worst man-made disasters, the frequent occurrence of mass deaths, the large-scale collapse of civilization, and the dark ages of humankind. (If history and textbooks survive)

人類史や世界史において、パンデミック、世界恐慌、革命、2つの世界大戦など最悪の人為災害を繰り返した20世紀前半。21世紀後半の世界人口は、20世紀前半の4-5倍の100億近くに膨れ上がる。第2次世界大戦後には主権国家の絶対数も急増した。リーマンショックにより人類社会が恐慌などの経済危機を再び繰り返すことが判明した。米中覇権という政治力、経済力、軍事力の本格的拮抗(ソビエト連邦経済は拮抗していない)また500年程度に及んだ欧米内部間での世界覇権移行は終焉し、欧米が500年程度期間の世界覇権や経済繁栄時を終焉させ、中国、アセアン、インド、中東などのオリエントに経済繁栄地域が移行している。その代表格の中国は、最期の欧米覇権国家である米国と経済力と軍事力が21世紀前半にも拮抗してしまう。

西欧文明や西欧にとって、500年程度以前のイスラム帝国に屈していた時代以来である。欧米地域からオリエント地域へ、経済繁栄のシフトである大きな流れが始まっている。米中の政治対立が先鋭化する中、新型コロナパンデミックが発生した。疫病そのものの被害も甚だ大きいが、新型コロナパンデミックが世界経済に与えたインパクトは歴史的に圧倒的規模と内容であった。ここまでの流れで、「20世紀前半の人類の危機」を現代に観ようとしない姿勢は楽観主義でしかない。個人の楽観主義と、共同体に責任のある者の楽観主義は異なる。後者においての楽観主義は共同体を崩壊させる姿勢である。大きな共同体の責任者として「地獄」の認識と回避を準備をするべきである。

現代社会では、世界恐慌期を上回る格差社会(貧富の差)が発生していると指摘はできる。しかし、前近代社会と現代社会を比較したなら、封建社会の前近代社会では、現代からでは比較できなほど、甚だ大きい不平等や貧富の差が存在していた。前近代社会に「平等」「人権」「民主主義」の理念そのものがなかった。封建社会は長期に存在した。しかし、おおよそ、一世代から二世代とう短い期間に、世界各国の社会において近代が没落し崩壊していったらどうだろうか?近代社会が当たり前の「近代人」である私たちは、世界恐慌時より、はるかに悲惨な、不況や所得低下、不平等(貧富の差の拡大)、社会保障の崩壊、人権制度の破綻、1%や0.1%さらに少数の富裕層が巨大な権力をもって社会を変え法律え(富裕層による実質的な寡頭制)民主主義は崩壊する。もやは近代人が存在でない環境を経験することになる。しかし私たちは近代人の主体を捨てきれず、さらにダイナミックに、大衆の不満は繰り返し爆発を繰り返す。

封建社会にもどる、はるか手前の段階において、民衆や市民や国民は、あらゆる意味で爆発し政治を動かす。しかし、それは近代国家が存在するまでの間であり、近代国家が崩壊していく過程では、民衆や大衆は不満さえも表明できない社会において、無力化され絶望する。長い時間を掛けて、近代社会が崩壊するならいいが、100億近い人口が100年程度で75%減少する近代や国家では、2050年を生きる、先進国地域では一世代だけの期間で、ドラステックな人口激減にさらされ、近代国家の制度や理念が次々に崩壊していくだろう。

2021年現在は、グローバリズムや新自由主義の理念が維持されているが、2050年の世界人口の大激減が確信できる時代においては「社会・共産主義」や、そもそもの「国民国家」などの思潮的な、制度的な、復活現象も観られるだろう。「強権国家」や「軍事国家」が復活し、さらには「自由」「平等」「人権」「民主主義」「市民」が崩壊し「近代国家」が崩壊に向かう。近代崩壊のあとに理想的なポストモダン社会や国家が成立する可能性もあるが、恐らくごく一部か、楽観主義者の希望にすぎず、大きな流れは近代国家や近代主義の崩壊に向かい、それは「地獄」であることを正面から認識する必要がある。「21世紀の人類の危機」がスタートしたのである。

世界人口が100億から、75億さらに、10億、5億と激減していくと、都市の人口も中世当時へとむかう。科学や技術が維持できているか?恐らくできない、科学や技術は予算や人々もモチベーション(論文数)や、なにより社会の成長の前提で発展するので、各分野の科学や技術は恐らく維持できない(ほんの一部は維持進歩か)

英国、米国、ソビエト連邦、日本の4ヵ国を比較すると、世界覇権国家の繁栄を経験した2国と覇権に挑戦し敗れた2国である。日本は敗北後、米国と伴に80年年代、90年代に世界トップの経済繁栄を経験した。英国は大英帝国の長い世界覇権時代を終えた後、100年経っても大国を維持している。ソビエト連邦は覇権競争に敗北し崩壊した。米国は第二次大戦後、世界のGDPの50%以上の経済を有する超大国として、ヨーロッパ、中東、東アジア(日本)に軍事力を維持し、地政学的にローマ帝国以上の広域世界覇権確立したと言える。

このうちフォーカスすべきは日米の没落である。まず、英国と日本の没落において、英国は世界覇権を終焉させた。しかし、戦後英国のGDPは増進し、80年代には長期経済停滞を金融力によって回避し、GDPは現在まで拡大している。日本の80年代は経済大繁栄期を迎えたが、現在まで30年に渡る長期停滞を経験し、人口減少がはじまり、かつGDPが一貫して減少すの危機を迎えている。19世紀後半から20世紀初頭にかけ、英国は覇権国家からは転落したが、成長し大国は維持され、ソフトランディングに成功した。一方日本は空前の繁栄後、没落が継続し縮小し、経済大国から転落し、先進国から転落しソフトランディングできずハードランディング(崩壊)の可能性も指摘され始めた。プラザ合意とバブル崩壊によって、米国と日本の調整から、日本の没落がスタートし現在進行中である。

米国はどうであろう?英国から覇権移行後、2極化の冷戦に勝利し、パックスアメリカーナの世界覇権と空前の繁栄を経験した。米国は戦後GDPは世界の50%以上の圧倒的規模の超経済大国であった。2019年にはGDPにおける米国の割合は、世界の24%程度であり、さらに低下していく。地政学的な中東から軍事力を撤退する計画がスターし、米中覇権においては、経済力も軍事力も中国との拮抗は、時間の問題であり、東アジアからの米軍の撤退開始において、世界覇権が終了するタイミングと観てよい。米国は相対的経済力を低下させ、今後、ユーラシア大陸の軍事維持は縮小し、中国が軍事的拮抗をする前に、ソビエト連邦のごとく、自ら崩壊してしまうリスクもある。日本では中国の崩壊はメディアでの露出は多いが、米国の崩壊は影響が大きすぎて、破滅的であり、日本の保守も革新も語ろうとしない。ソビエト連邦の崩壊は、寸前にも誰も予測できなかったと言える、ソビエト連邦内や欧米メディアにおいても、なんの前触れもなく、全く予測できず、突然崩壊した。覇権を争った世界最大の軍事国家が突然、内部から消滅してしまった。

 

■【ソビエト連邦崩壊と超過死とメンタルヘルス】小室直樹氏やエマニエル・ドット氏が事前に予測したとされているが、日本や欧米のメディアが崩壊を扱ったのは、連邦崩壊のタイミングと同時であった。政治、経済や歴史的なアプローチから国家の崩壊を予測するのは困難である。エマニエル・ドット氏の人口動態や医療情報、家族構成や識字率などから、近代化を数量化し、社会の発展や衰退を定義しようという試みは、ソビエト崩壊、崩壊後、ロシアの経済復興期などの、継続された研究からも、おおよその予測が可能なのではないか?と、一定の可能性を感じさせる。

以下、ソビエト連邦崩壊期(末期)健康被害と平均寿命などの人口動態の劇的変化については、すでに多くの研究がなされている。社会にアノミーが発生し、没落から崩壊に至る際には、餓死者が急増するなどではなく、政治、経済面の社会が目に見えて崩壊していたわけではいが、著しい健康被害が発生したため、ドラステックに平均寿命の低下が発生した。ソビエト連邦崩壊直前、直後に置いて、国民レベルでの「超過死」による大量死が発生していた。絶望死や精神的な健康被害の著しい急増によって、ソビエト連邦は、他国による侵略ではなく、国家自ら、やわらかい絶望とやわらかい自殺によって、内部崩壊していった可能性がある。

ソビエト連邦共産党、最後の書記長であるミハイル・ゴルバチョフの言葉を借りると、人々に物質的なニーズを満たしていました。乳児死亡率はかなり低く、人々は十分に食べることができましたが、精神的なニーズはありませんでした。心臓病による死亡は、暴力的およびその他のアルコール関連の死亡と同様に多かった。不健康なソ連の社会的および政治的原因も、共産主義支配の70年後に崩壊につながった可能性があります。その後、1990年以降、健康状態が悪化しました。社会が崩壊するにつれて、平均余命も極端に低下した。

ソビエト連邦崩壊直前直後の、1987年から1994年の間に、ロシアの平均余命は大幅に低下しました。1994年から1998年の間に、この傾向は逆転し、死亡率は1980年代初頭の死亡率に戻りました。平均余命の低下は以前に調査されましたが、その後の死亡率の改善についてはほとんど知られていません。これらによってソビエト連邦崩壊直前には著しい健康被害と超過死によって、平均寿命の大幅低下につながった。

公表されたデータによると、1984年から1994年の間に、ロシアの死亡率は最初は急速に低下し、その後さらに急激に上昇しました。1994年の男性の平均余命は57・6年で、1990年から6・2年減少しました。このような死亡率の急激な変動は、他の要因の中でも特にアルコール消費が関係している。ソビエト連邦の末期には、中高年男性を中心にメンタル危機が発生し、国民的な精神被害から健康被害から絶望死が、大量死を発生させていた。崩壊後、ロシアの所得向上によって、平均寿命は改善する。あたらしい国家の出現によって絶望死や健康被害からの大量死は減少していった。経済困窮だけではなく、社会秩序の回復こそが、絶望死や大量死を軽減させたと考える。

ロシアの人口動態が注目を集めるようになって久しい。体制転換が始まった1992年より、死亡率が急激に上昇するとともに出生率の劇的な低下が見られ、20年以上にわたり、ロシアでは死亡数が出生数を上回る人口の自然減が続いた(図1)。1992年〜2017年の26年間で自然減少(死亡数から出生数を差し引いた数字)は1,330万人に達した。ソ連解体後のロシアは旧ソ連構成諸国からの移民受入先となっていたため、総人口の減少は1992年初の1億4,870万人から2017年初の1億4,450万人へと400万人強に抑えられているが、1992年初総人口の10%弱に該当する自然減が20年余りで生じたという事実に変わりは無い。

人為災害の1つとして国家などの大きな共同体の崩壊が考えられる。戦争や革命などの人為災害との違いは、ゆっくり進行しており、国内問題程度の認識で「災害」の認識が薄いことである。ソビエト連邦のような覇権を争う国家でさえ崩壊期の認識はなく突然消滅してしまい、歴史的人為災害としての認識はないに等しい(パンデミックのコロナ禍において、戦時体制が十分でなく、戦争以上の人為災害との認識がない側面は、ソビエト連邦崩壊前後の災害意識の低さなどの認識と共通している現象といえる)

当時のニュースを思い出し振り返っても戦争や革命や内戦程度の深刻さもなかったように思える。ゴルバチョフ書記長の登場は米ソ冷戦を終結を連想させ、西側では好意的でむしろ希望さえ含まれていたよに思える。しかし、崩壊前後のソビエト連邦には、静かで深刻な大災害が発生していた。アルコールに代表される絶望の病と絶望死は、国民のゆるやな自殺であり、社会の崩壊は隠された大規模な人災を発生させていた。

大規模な超過死も確認されており、平均寿命が極端に低下している。大規模な戦争に巻き込まれた敗戦国のようであった。通常、戦争が終われば出生率の向上が観られるが、出生率も同時に大幅に低下していった。早期の死亡と出生率の低下が同時に起こり、ソビエト連邦崩壊前後のロシアでは、極端な国家規模の人口減少も発生していた。(戦争や革命、飢饉もない平時に)

戦争、飢饉、疫病の人為災害の大量死と同様に、国家や社会の崩壊は、絶望の病によって、ゆるやかな自殺者が激増し、出生率さえも低下させてしまう大量死を起きおこす隠れた人為災害といえる。今、ソ連崩壊前後の10年間で、国家や社会崩壊の人為災害(超過死、大量死)を認識し、社会崩壊が戦争同様の深刻な人為災害であることを再定義する必要がある。

この20年間、日本では、中国崩壊の危機がメディアに露出した。その割に米国崩壊の記事は極めてすくない。ソビエト崩壊前に、米ソ全面戦争の危機は繰り返し報道されていたが、ソビエト連邦崩壊などの記事はないに等しかった。誰も予測できず、突然崩壊した印象が強い。栄光のローマ帝国さえ数百年かけて没落から崩壊に至ったが、やはり戦争や侵略ではなく内部から崩れていった。歴史的に大国が外部要因(戦争や侵略)でなく、内部から崩壊した帝国・大国は歴史に無数に存在する。ソビエト連邦はロシア革命から70年も維持できず消滅した。一般的に近代国家は古代から中世の大国や帝国と比べ短命と考えられる。

ソビエト崩壊前後に起こったアノミーの連鎖は、自殺をはじめ絶望死を増加させた静かなる人為災害である。ソビエト崩壊期同様に、パンデミックのコロナ禍において、アノミー的自殺や絶望死が各国に増加している可能性の検証は歴史に任せるべきではない。

デュルケームのアノミー的自殺の現代的意義  

 

■【米国は崩壊か革命か戦争へ】歴史的な大国や帝国が、多く内部から崩壊した。現代ではソビエト連邦崩壊が起こった。パンデミックのコロナ禍においてアノミーや絶望死は早急に世界規模で検証していかなければならない取り組みであるが、新型コロナのパンデミック発生前において、アノミーや絶望死がすでに発生し社会崩壊の兆しがみられる国家がある。2010年代には、すでに米国には崩壊の兆しが発生していた。

「絶望死」が増加する米国社会の暗い闇

米国の「絶望死」 10年で急増 依存症や自殺など

ソビエト連邦崩壊期におきていた人為災害を研究したプリンストン大学のアン・ケース教授とアンガス・ディートン教授は、これら「絶望による死」の背景にある統計を紹介している。ブルッキングス研究所のためにまとめられた両教授による最新の研究からは、25─29歳の白人米国民の死亡率は、2000年以降、年間約2%のペースで上昇していることが分かる。他の先進国では、この年代の死亡率は、ほぼ同じペースで、逆に低下している。50─54歳のグループではこの傾向がさらに顕著で、米国における「絶望による死」が年間5%のペースで増加しているのに対して、ドイツとフランスではいずれも減少している。米国のみにおいて、ソビエト連邦崩壊期の絶望死が緩やかに発生しはじめ、コロナ禍に置いて、さらに絶望死は加速している。

米国が他の先進国と異なり、特別に崩壊の危機が近いことを類推させる。最もシンプルな証拠は、コロナ禍において先進国とは思えない(途上国のような数字)重症者数と死亡者数を出していることだ。米国は表面のみ先進国だが、すでに途上国同然の社会に没落している。

米国では、2018年から2020年の間に他の高所得国よりも平均余命が大幅に減少し、ヒスパニック系および非ヒスパニック系の黒人人口の間で顕著な損失が見られました。長期にわたる拡大する米国の健康上の不利益、2020年の高い死亡率、および人種的および少数民族グループへの継続的な不公平な影響は、長年の政策選択と体系的な人種差別の産物である可能性があります。米国はパンデミック発生以前から、特定層で平均余命が減少していたが、新型コロナパンデミック発生後、平均余命が大幅に減少している現象が進行拡大中である。

第二次世界大戦後に、米国は世界のGDPの50%以上の経済規模を誇っていた。2019年の名目GDPの米国は世界の24.4%までに低下し、2030年代には10%台にまで低下し、圧倒的な経済力の維持はもはや不可能であり、軍事費も2030年代には拮抗してしまう。米国の没落データを上げたら、きりがないほど多くの資料が集まる。米国内メディアでは議論されないが、独立戦争当時から指摘するまでもなく「白人」が人口のほとんどを占めていたが、白人の人口減少をはじめ、白人以外の移民の増加で、本当に近い将来、「白人」がマイノリテイーとしての人種に陥ってしまうことは確実である。日本の個人所得はここ数十年、世界最低の数字であり、数十年において物価も給与もほとんど同じ水準に留まることは何度も指摘しているが、米国も白人の一般労働者においては、35年前から7%程度しか所得の向上がみられず、富裕層の所得が激増している中では絶望的な経済所得低迷が30年以上も停滞している。

また0.1%や0.01%のごく一部の富裕層が大統領選において、民主・共和両党の半分以上の選挙資金をカバーしている。アリストテレスの指摘を待つまでもなく、米国の民主主義は「寡頭制」が発生している。米国の盛んな陰謀論拡散の背景には、陰謀論以上の「現実」も存在するが、米国大手メディアでは強く指摘されることはない。日本の議論されない米国への忖度や軍事力などと同様に、タブーは米国にも存在する。寡頭制や人種問題は議論されないタブーでありながら、分断の源泉はそこにあるので解決は不可能とも思える。

米国は新型コロナパンデミック以前から人口増加率の著しい低下と死亡率の上昇が現れていた。アメリカの近年(コロナ禍以前)の人口増加率の低下の背景には、①合計特殊出生率が2を下回る水準にまで低下をしていること、②死亡率が上昇していること、③移民純流入数も減少してきていること、などがあります。もしこれが続けば、いずれアメリカの人口は減少に転じることが考えられます。

米国にトランプのような「嵐」のごとく過激な大統領が誕生した背景には、一般の白人労働者の危機意識が繁栄されている。コロナ禍においても人種別の医療データがはっきり出でしまうほど有色人種は分断され、またマジョリティとして米国を牽引してきた「一般白人労働者」が没落して久しいのである。所得の格差や、国民分断は激しさを増し、前回の大統領選挙においては、崩壊する国家の姿が選挙ですでに現れている。アメリカ合衆国議会議事堂には一般人が乱入し、あわや革命や軍事クーデターが発生する寸前であった。この光景を観た世界中の人々や、誰より米国国民はすでに取り返しがつかないところまで、米国が追い詰められていることを確信し絶望を深めた。

『帝国以後』 (Après l’empire – Essai sur la décomposition du système américain) は、フランスの人口学・歴史学・家族人類学者であるエマニュエル・トッドが 2002年に著した本である。2050 年までにアメリカの覇権が崩壊すると予測し、その後のフランス、ドイツの外交の理論的な支えとなった。

新型コロナのパンデミックにおいても、世界最高水準の科学力と技術力をもち、軍事力においても、民主主義においても、世界最高峰の米国が、世界最悪の新型コロナによる圧倒的な死亡者数と超過死亡者数(双方とも覇権国家どころか先進国とは思えない数字)を記録更新中である。米国国内にはすでに、途上国層が形成されている証拠である。コロナ禍の国家状況だけでも、米国が疲労困憊しており、すでに十分、社会が崩壊していること確信させる。中国崩壊ばかりが、躍り出る日本メディアは米国の崩壊を指摘しない。米国は崩壊寸前の国家である。

米国の平均寿命低下と絶望死急増の背景として象徴的に「オピオイド」問題がある。もちろん絶望死は遥かに裾野が広い問題である(ソビエト連邦崩壊期のアルコール問題と比較)CDCが7月14日に発表した薬物中毒死亡者数暫定版によると、米国の2020年の薬物中毒による推定死者数は前年比29.4%増の9万3,331人だった。州別にみると、最も上昇率の高かったのはバーモント州(57.6%増)だった。死因となった薬物については、鎮痛剤として処方される医療用麻薬「オピオイド」が最多だった。薬物中毒として、コロナ禍において激増している。(コロナ禍以前より拡大)

米国は国民国家が維持できない寸前まで、追い詰められ、分断されている。運よく崩壊はまぬがれても、世界覇権は継続できない。ヨーロッパ、中東、東アジアに駐屯し、ソビエト連邦崩壊後に、ローマ帝国を凌ぐアメリカ大帝国(パックスアメリカーナ)が誕生した。しかし現在、中東から撤退をはじめ、今後、東アジアからも撤退するだろう。中国が東アジアの地域覇権国家となるまで、長い時間は掛からない。

1980年代、米国のニューヨークなどの都市部において、深夜の銃声とギャングによるドラック売買などが、凶悪都市のイメージをほしいままにしていた。現在の米国から観ると、まだ素朴な問題であった。清朝の崩壊期には「アヘン窟」が現れた。2021年、コロナ禍の米国ペンシルベニア州フィラデルフィアでは、高価な麻薬であるヘロインの数十倍の効力をもつ「鎮静剤オピオイド」が、安価に、昼間から、マフィアもなしに、堂々と、道端で注射されている。もはや警察も地方政府も政府も、どうすることもできない。長期間にわたり放置されている。清朝末期にはロンドンにも米国にも「アヘン窟」が存在したが、主に富裕層の風俗であった。本土でも社会崩壊期にアヘン窟は流行した。このときも貧困層から格安のアヘンが拡大したことに注目する。社会崩壊から脆弱な国家主権状態(国益回避が継続)に至り、清は滅亡した。ペンシルベニア州フィラデルフィアの「オピオイド」は、米国の貧困と格差などの社会崩壊が背景にあり、米国のメンタル危機の象徴そのものである。米国の多くの失業者が自宅自室でネット闇通販で簡単に入手可能である。またオピオイドなどの麻薬中毒以上に、はるかに裾野が広いアルコール問題などが存在し、ケンジントンは象徴的な場所でしかなく、オピオイド問題は米国「絶望の病とメンタル危機」における氷山の一角に過ぎない。

https://www.rieti.go.jp/jp/papers/contribution/fuji-kazuhiko/288.html

米麻薬取締局によれば、中国の業者がフェンタニルなどを大量生産し、メキシコやカナダなどを経由して米国に大量に送り込んでいるという。これが超限戦的発想による「中国政府が黒幕である」とする米政府や議会の指摘が繰り返されている。真相は不明だが、いずれにしても清朝末期のアヘン流行と、現代の米国オピオイド問題は共通点が多い。清朝が健全であり社会崩壊していなければ、イギリスもアヘン戦争を起こせなかったことは容易に想像できる。米国も自ら社会崩壊を引き起こし、そこにつけいるように、戦争の形をとらない中国の侵略意図がある可能性は高い。

ペンシルベニア州フィラデルフィアのケンジントン地区の「現実」だけで、米国がすでに没落から崩壊に向かっている現象を観ることができる。ケンジントン地区は米国の住宅地全域の問題である。ユーチューブに毎日、本日のケンジントン地区が更新されている(残酷な閲覧で注意が必要)ここは国家か米国か?歴史的にも国民国家が、これほどのアノミーと社会崩壊が存在するのは危機から崩壊に向かっている状況と考えられる。すでに米国の一部は地獄が顕在化しはじめている。ソビエト連邦崩壊期と同様に国家崩壊の問題である視点は少なく一地域の社会問題程度の扱いが多い。

米国はソビエト連邦のように崩壊する可能性が高まっている。崩壊を回避するためには、国内にて革命や大粛清、もしくは戦争から戦時体制によって国家維持を有効にするだろう。米国は近い将来①崩壊②革命③戦争維持、に突入するだろう。大英帝国から英国へのようにソフトランディングは想像できない。戦争に勝利する以外は米国に勝利はない。他の選択では米国は崩壊か分裂、よくて小さな国家にむかうが、戦争になっても有利に展開することは難しくおもわれる戦争を選択するなら2020年代にも、準備し開戦しなければ2030年代には米国が積極的な戦争はより不可能となる。よって、米国はすでに没落が進行しており、①から③までのドラステックに覇権かから遠くはなれる方向に展開している。恐らく分断から戦争のまえに、革命闘争が発生してもおかしくない。いずれにしても世界覇権を手放すのは時間の問題である。奇跡的なソフトランディングこそ、米国の国益と政策とおもえる。しかし破滅的な展開の可能性が高いとおもえる。米国は崩壊するか、分断から革命に至っても覇権は維持できない。米国はどちらにしてもドラステックな歴史展開に至る可能性が高い。

米国ペンシルベニア州フィラデルフィアのケンジントン地区のユーチューブ動画

 

■【近代の終焉と新オリエント時代②】西欧文明から、中華世界とイスラム世界が、オリエンタル文明を形成していく。ポストモダンは近代の終焉と西欧の没落から、同時進行する新オリエンタル文明である。中華世界とイスラム世界がグローバル化する。一時代対立するが、イスラム世界の時代となる。その大きな流れが新オリエント文明であろう。キリスト教とイスラム教の人口動態が拮抗し、21世紀末にはイスラム教の優位が確定しイスラム世界が出現する。近代文明(仮名称)の没落と、同時並行して、イスラムが世界を席巻しはじめ新オリエンタル文明がはじまるだろう。同時に世界は人口減少をはじめ近代化の逆回転がはじまる。前近代への世界的潮流は、イスラム世界をより優位に導く。そもそも近代化とイスラム世界は相性が悪く、前近代化の時代の流れは、イスラム化の流れを加速させる。

急増するイスラム教徒、40年後にキリスト教に並ぶ 米調査機

イスラム教徒、2100年には最大勢力、世界の宗教人口予測(日本経済新聞)

欧米の繁栄は米国の没落によって、中国やアセアンをはじめとしたオリエント地域へ繁栄がシフトするが、中国やインドの繁栄で近代文明を伝承するが、21世紀中盤で繁栄は終焉し、世界全体の近代化も終焉する。中国の一時的な世界覇権からはじまるオリエント地域への繁栄移行は、アセアン、インド、中東、アフリカの近代化と、オリエント地域の大国も連続して出現するが、21世紀終盤には世界中の近代化が、全地域の人口減少によって、近代は終焉にむかう。新オリエント文明は、中国、アセアン、インドなどの大繁栄と同時に、世界的なイスラム化もはじまる。新オリエント文明は、イスラム世界の拡大と伴に、近代の終焉と伴に、その本質を現してくるだろう。

21世紀後半から、近代の没落と終焉から、中華からイスラム世界の復活と、新オリエント文明へ、文明移行や繁栄地域移行の大移行時代がはじまる。人類が世界人口減少をはじめて経験する時代に大移行時代が重なる。中世へ逆行する文明。21世紀に人類の危機が繰り返されるのちに、世界人口の急激な減少の時代。イスラム世界の優位性もより高まる。

イスラム国家が近代化が難しいのは、イスラムの作りだす共同体が前近代的だからである。近代文明の次に新オリエント文明とするなら、イスラム世界の復活こそ、新文明の本格的な潮流と言える。

人口減少がすでに数年後2023年にも起こる中国は、意外に早期に繁栄が終わり、アセアン、インド、中東へと繁栄地域がシフトしていく、米中の中国への覇権移行から、新オリエント文明がはじまる。古代ギリシャ、ローマから、最も遠い東の果て、中国からオリエント世界の再生がはじまる。

覇権が中国へ移行されるが、世界は多極化した国家がせめぎ合う体制が復活する。これら、多極体制から、イスラム教人口が歴史的にはじめてキリスト教人口を21世紀半ばに均衡し、今世紀後半にはイスラム教人口が世界を多くを占める。経済繁栄は中国からインド、中東へ移行。さらにアフリカへ、ギリシャ、ローマのヨーロッパを取り囲む。500年間の欧米地域の繁栄から、オリエント世界への移行がはじまる。500年間以前はイスラム帝国やペルシャ帝国が君臨していた。よって再びイスラム世界が復活する。

アレキサンドロス大王やナポレオン、英国、米国もオリエントに大帝国を形成し、ソビエト連邦も中国もオリエント全土の広大な帝国をめざすが、大帝国は短期間の現象といえる。よって国家の多極体制へむかう。大国は入れ替わるが、イスラム教の人口優位は進む。オリエント地域が繁栄地域として、覇権国家や大国が勃興衰退するかもしれない。しかし、世界人口の減少のため、繁栄と覇権の形は近代とは違う特色をもつだろう。

新オリエント文明は近代文明(仮名称)より、さらに短い時代なのかもしれない。急激な人口減少が継続するため、22世紀において、10億や5億の単位まで減少すると、新オリエント文明を最期として、人口増加に転ずるまで何百年、何千年も、非文明時代として、もしくは文明の後退期として、かぎりなく近代の逆行が継続され、中世から古代世界に移行してしまうかもしれない。再び世界人口が増加に転ずる現象は予測も想像もできていないからだ。そのように長期間停滞低迷してしまうと、近代や新オリエント文明以降は、次の時代や文明に、科学も技術も引き継がれることが不可能になるかもしれない。有史以前に引き継がれられなかった、文明の存在も、このような文明の長期間低迷期があったなら、記録に残らない文明になってしまう。この問題は壮大すぎて資料も少なく想定想像できない。

人口が減少し、近代は中世に回帰していくかもしれないが、イスラム世界の学者がラテン語やアラビア語でギリシャ・ローマの科学や学問を維持していたように、新オリエント時代もイスラム世界の学者が、英語と地域の言語で維持継承して行くかもしれない。

ポストモダンにおいて、新オリエント文明ではヨーロッパや米国は過去の地域となるが、栄光の西欧文明や近代文明の遺産を受け継ぐのは、またしてもイスラム世界なのかもしれない。

西欧文明を中国やアセアン、インドなどが引き続き、やがて、欧米の終焉とイスラム世界の拡大で、イランなどの中東、アフリカ、ヨーロッパや米国でもイスラムが拡大し、イスラム世界がリードし、新オリエント文明が形成されて行く。ポストモダン世界であり、近代文明の没落から、新オリエンタル文明へ、中世化と中東化(アフリカ化)が進むのかもしれない。世界人口の減少が継続される時代であり、暗黒の中世のイメージが優先するが、近代化とは反対の、もしくは全く別の流れがはじまるのが、新オリエント文明であろう。パラダイ厶シフトも起こるので世界観の想像はできない。

イスラム世界の復活、イスラム帝国が世界覇権に登場し、イスラム世界内で覇権移行が起こる時代が、本格的な新オリエント文明であろう。ペルシャ帝国の没落期に、イスラム帝国はペルシャをそのまま吸収していったように、近代文明を吸収しイスラム世界が拡大する。最初のイスラム帝国候補はイランであろう。中東やアフリカのみならず、アジアやヨーロッパにもイスラム世界や帝国が形成されるかもしれない。近代や国民国家が没落する中、帝国や絶対王政が復活するかもしれない。さらに人口減少が進めば、世界は封建社会以前へと逆行して行くのかもしれない。22世紀以降は、イスラム帝国の興亡が、世界中で起こる可能性がある。西欧文明はイスラム世界において(滅亡したペルシャ帝国のごとく)神秘主義や文学としては維持されるのかもしれない。ロシア(スラブ)は、21世紀後半には新オリエント文明の一角としロシア(ロシア帝国)の復活もあるかもしれない。

中国の長期的な人口動態には要注意である。 近代の終焉から欧米や日本、アセアンやインドまで、世界で人口減少が進む、今世紀中盤において、中国だけが人口減少を抑えられる可能性もある。習近平からスムーズに次世代に権力移行が行われ、長期に中露関係が維持されるなどドラスティックな変化が起こらい限りにおいて、特に大国間において、中国のみが人口維持が優越する局面も想定させる。都市と地方、教育と識字率などの調整や、わらかい文化大革命などによって、(短期の人口減少には突入するが)21世紀中盤には、人口減少を優位に抑制できる可能性を秘めている。これは国勢の大きな流れにおいて要注意視点である。近代の終焉によって、各国同様に人口減少が進む場合、中国の世界覇権は短期に限定され、その後インドや中東へ繁栄がシフトし、新オリエント時代の本流に移行していく流れであるが、中国が覇権的な繁栄に突入した際、イスラム世界の拡大期において、効果的にイスラム世界のパワーを取り組むことも想定できる。かつてのモンゴル帝国である元は、イスラム世界の人材を巧みに官僚など国家機構に登用し世界帝国を形成した。今世紀中盤以降、イスラム世界に囲まれはじめても、イスラム世界との関係次第では、中国の覇権が長期に渡り維持されてしまい、新オリエント時代の前半に中華帝国の覇権が出現するかもしれない。22世紀は新オリエント時代に、イスラム世界内でイスラム帝国間での覇権移行が連続するかもすれない。西欧近代文明に匹敵する新イスラム文明が花開くのかもしれない。

 

■【日本の生き残りについて】日本のグランドデザインは「豊かな社会」や「コロナ前の元の世界へ」ではなく、世界と日本の危機を総括し【日本の生き残り】を国民合意をすることからはじめるべき。世界と日本の危機は自然災害か人為的災害か?21世紀は人為的災害にフォーカスすべき時代である。南海トラフ地震などの自然災害は準備が必要である。しかし隕石衝突やカルデラ噴火などがない限り直近の自然災害で日本が滅亡(消滅)することはない。人口減少は世界的現象であり対応は必要であるが滅亡するわけではない。また国民国家としての日本の分断は欧米ほど深刻とは言えない(行き過ぎた個人主義によって分裂は深刻)絶望死や不気味な超過死によって平均寿命が低下しているわけでもない。内からの社会崩壊によって滅亡する危機は欧米ほどに深刻とはいえない。しかし平成の30年間に起こった経済没落は深刻であり、76年前の敗戦による国家主権喪失(半主権状態)が、健全な国益追及を阻害し経済自殺が継続されている。この半主権状態は国民国家としては致命的である。今後の日本の危機は自然災害より、他の人為災害より、地政学的危機にフォーカスすべきである。なぜなら今、日本の滅亡(消滅)は、地政学的危機によって発生する可能性が最も高いと考えられるからである。日本社会の主権喪失による機能不全と地政学的危機から、やわらかい親米保守から、日本の半主権状態からの脱却を理解する【独立保守】が有効に結集し議論できる場が急務に必要である。職業、業界を問わず、日本の独立保守論客が結集し議論可能な基盤を複数確立すべき。親米保守や親中保守だけではなく、護憲左翼からリベラルまで、日本の主権(独立)なしに、日本の危機回避は不可能であることを合意する。特に日本が滅亡する可能性として最大の危機である「地政学的危機と国家主権の完全消失」を想定し準備するタイミングである。76年間発生しなかった熱量が政治に求められる。20年以上に渡り、国民に深刻な危機感は発生しなかった。このまま没落から崩壊寸前になっても危機感が発生しない可能性が高まっている。

家族など身近な最も小さい共同体の見直し、身近な人間を大切に助け合い。中間共同体の再構築が望ましい。しかしながら崩壊がとまらない状況であるので、最期のとりでの共同体である「国」は死守するしかない。現在の国民国家の維持が肝要であるが、近代の終焉など時代の流れで、絶対王政であり独裁であり、社会主義であれ、帝国であれ、「国」が最期の砦である。国が維持されない場合、すべての共同体は地獄となる。この地獄は回避すべき。よって保守思想が望ましい。現状の体制から政策や法律の変更の積み重ねで新しい国に移行しくのが望ましい。一度崩壊した共同体がもとにもどるのは難しい。しかしながら、国家を死守できれば、何十年、何百年と時間をかけて共同体の復活や再構築が可能である。江戸時代にも共同体が存在したように。最期の共同体である「国」が崩壊してしまえば共同体の復活や再構築はできずに消滅へ向かう。もしくは他国の共同体として「日本文化」としてのみ伝承する。

環境問題、温暖化問題は準備を進め、日本は各国に意思を広げるべき。しかし日本半国家主権状態であるため、他国や大国の意思に協調するしかない。温暖化によって地球規模の危機に日本が準備するめには日本の国家主権回復が前提となる。飛躍した議論ではなく事実である。また温暖化問題によってここ数十年間で日本が滅亡する可能性は低い。地政学的危機はすべての災害において日本の最優先分野である。

環境問題の他、社会保障問題、安全保障問題、人権問題、年金、介護、福祉、高齢化、貧困、少子化、教育、子育て、財政、技術基礎研究、憲法、原発、男女共同参画、ジェンダー、拉致、移民、障害者 コロナ禍問題など多くの、社会問題、政治問題を解決する機関組織は、主に国の政府をはじめ行政機構である。内閣府、デジタル庁、復興庁、総務省、法務省、外務省、財務省、文部科学省、厚生労働省、農林水産省、経済産業省、国土交通省、環境省、防衛省、などの行政機関が、毎年の予算をもって、国の問題を解決すべく仕事をしている。半国家主権状態や国家主権の欠如は、行政機構が国益を追求する際に、多くの矛盾や障害を自ら設定し、混乱させ、本質的な国益追求を回避させる。「日本のことは日本が決める」という国民国家の背骨が抜け落ちている。独立国家の背骨が溶けている。

昭和の終わり、日本はソビエト連邦の崩壊で「政治」「軍事」的な優位や安定性を喪失したのである。平成の経済没落で「経済」的な優位や安定性も喪失した。令和の日本国は、すでに裸の国民国家である。米国は近い将来、崩壊するか、革命か戦争に突入する。米国が幸運にもソフトランディングができると想定しても、2030年代には事実上、東アジアからの撤退を開始し、形骸化した米軍を残し、東アジアの地域覇権は米国から中国に移行する可能性が高い。独立国家の背骨が溶け、没落が加速している過程に、地政学的危機の拡大によって、戦争に巻き込まれる危機と再び戦場となる危機が迫っている。すでに国難に突入しているが、危機感が発生していない「裸の国民国家」である。昭和の終わりから平成にかけての退行現象によって「幼児国家」となってしまった。

「富国強兵」は、古代中国から古代ギリシャ・ラテン世界から、数千年以上、古今東西において、「国」の普遍的な目標である。明治の「富国強兵」から、戦後「富国弱兵」に、現在「貧国弱兵」に向かっている。歴史的に、普通の発想のレベルおいて、没落から滅亡の危機が迫っていると考える。にもかかわらず、全くと言って良いほどの、この危機感の欠如状態こそ「幼児国家」の証である。日本は「裸の王様」であることに、まだ政府も国民も気づいていないのである(うっすら感じている程度)滅亡した国の多くは没落中にも関わらず国内に「危機感」が発生しない特徴をもつ。76年前の敗戦によって、普遍的な国の目標である「富国強兵」が、日本から削除されたのである。日本の生き残りのためには「富国強兵」に再び目覚めること。没落や滅亡を回避するためには、国の普遍的な目標を回復(再生)することが最重要である。このまま「富国強兵」国民議論がタブーのままであるなら、日本の没落を止めることは不可能である。幕末以来の「亡国危機」が、より顕在化していく可能性は高まっている。

日本の危機を総括、人為災害の地政学的危機。日本は没落から崩壊へ、歴史的最大の国難の危機であり、崩壊や消滅か、属国から植民地、再び戦場となる危機、最悪なのは滅亡消滅ではなく、国家分断であり、領土が複数の国家に統治され、日本人同士憎しみあい、殺し合うこと、各属国として、分断日本が代理戦争の「戦場」に陥ること。日本は再び戦争に巻き込まれ戦場となる。歴史的な地政学的危機と国難が目前に迫っている。次回、占領や分断から独立国家として日本が復活できる保証はない。

日本の危機に、政府やメディアを批判するのではなく、国民の責任として考えはじめるタイミングである。日本の没落が止まらない原因は日本国民の政治判断ミスの連続である。30年の没落を放置し、没落から滅亡に向かっているのは、全面的に国民の責任である。日本国民が政治経済の本質的認識ミスを認めない限り、没落は止まらない。日本国民は責任を取るべき。政策の転換で没落や滅亡は回避可能である。ただし、戦後政治経済の総括によって、日本の半主権状態を認めて、国家主権の回復を認識できなければ、民主主義は終焉する。また日本も没落から滅亡に向う。日本の再独立が意識できない国民は日本没落の責任を取るべきである。ここに日本国民の非を批判する。日本の没落は国民の判断ミスである。主権回復には国民の一定以上の熱量が必要である。今後、国民の気づきや目覚めのみが「日本の生き残り」に最も重要と思われる。国民に国家主権の致命的な欠如が意識されなければ、日本の没落は止まらず滅亡や亡国に至る。一定以上の熱量が政治にないのは国民の責任。国民が日本を没落させ滅亡させようとしている主犯である。政府やメディアや責任転嫁や陰謀論にも逃げることなく、国家の主権者である国民が責任を取るしかない。日本が没落から崩壊するのか、生き残るか、国民の責任である。大規模な機能不全の危機が発生する前に、一部の国民は「日本の生き残り」の準備を開始する必要がある。日本の生き残りとは「富国強兵」である。近い将来、日本国民が地政学的危機に目覚めることを信じて疑わない。

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